時間が間に合わない人への支援



どうしても、
知的障害がある人への支援は、
集団性を取りがちで、
ひとりの支援者が、
何人かの利用者を見ていくシステムですし、
箱モノが決まり、
そこに来ていただく形が主流なので、
そのなかで、決まりごとが多くあるようです。

さて、そのような中で、
事業所や学校で、
型にはめているような気がすると
お悩みの支援者もたくさんいます。

確かに型にはめているかもしれません。
そうしないと、
何かに間に合わないという感覚が
あるようです。

時間になった。
移動をしよう。
でも動いていただけない。
時間は過ぎる。
間に合わない。
強制的につれていこう。
仕方がない。時間がないから。

こういうこともありませんか?

こういう状態で、
力づくで次の場面に
連れて行くようなことになり、
支援者は、
それが正しいものだと思い込むわけです。

そのうえで、利用者や生徒が時間を
守らなかったからだと
感じるようです。

まさしく集団に合わせた方法ですね。

こういう集団性に課題があるとしながらも、
改善ができないでいるのであれば、
逆算という方法はいかがでしょうか?

これは、私たちも
いつもやっていることですが、
あえて考えなければ、
ならないことではないのです。

例えば、
職場に行く際に、
何時までに行くと決まっているので、
それに合わせた逆算をして、
出発することになります。

この感覚が、
知的障害者支援の現場に
導入したいところなのです。

要するに、
全てを同じ時間で
スケジュール化をするから
支障が出るのです。
人によって、日によって、
トイレに行く時間も着替えをする時間も、
全ての時間が同じ時間で
できるというわけではありません。

それをすべて、
同じ時間にしていただこうと
することの「無理」なのです。

Aさんは、着替えに5分かかる。
Bさんは、着替えをしない。
Cさんは、着替えの前にトイレに行く。
そういった違いを全て、
○分以内にしましょうと
定義づけることが「型」なのです。

例えば、送迎車が16時に出発するのであれば、
そこに合わせて、
一人ひとりの帰りの準備が違ってくるのです。

すると、論理としては、
何時まで活動としていたので、
その活動は一斉に終わりにしたいという論理です。

私は、それぞれが、
その時間きっちりではなく、
曖昧部分を作ってよいと思っています。
何もかもが一斉に動けることが良いのではありません。

なぜか?

それは、お一人おひとりの障害が違うからです。
そして、私たち支援者は
それぞれ違う障害の部分に支援することが仕事だからです。

集団の論理や
事業所の都合に合わせるべきではないのです。

彼らが人生の主人公であるべきです。
社会に出るために
集団に合わせるという論理も
おかしなものです。
いやいややっていてはスキルにもなりません。

彼らが主体の時間の使い方を考えましょう。
たとえば、送迎車の出発時間に
送迎車にのることが出来るように、
スケジュール通りに間に合うには、
その人の前のスケジュールを
どのように個別化するか?
という視点で、考えてみましょう。

もし、そこで怒ったり、
力ずくでやっているというのであれば、
あなたが主体。
知的障害がある人が、わき役になります。

社会に合わせるために
時間を守らなければならないから、
事業所の中でも時間に合わせる論理にするのではなく、
ひとりでできることに合わせ、
段々にできるようになれば、
社会の中でも「障害」なく、
できるようになるという考え方です。

いつも、社会に合わせるのが先になるので、
出来ずに職員がやってしまったり、怒られる。
時間かければできることもあるはずなのにです。

個人に合わせれば、
個人ができるようになることが増え、
自立に向かうし、気持ちもよく、
他の課題も少なくなることでしょう。

さあ、どっちが彼らの人生の主人公になる支援か?
考えるべき時はきています。