障害者の居場所づくり



最近引っかかった言葉。

「障害者の居場所づくり」

今まで、確かにこの言葉を見ています。
そして、何も思いませんでした。

でも、今、改めてみたら、ものすごく引っかかる。

居場所って作るものなのか?

居場所って、私たちが作らないといけないって変じゃないのか?

居るところがないのか?

居ていい場所がないのか?

などなど、

この「居場所づくり」という言葉は、
健常者といわれる、私たちのおごりに近い気がするのです。

何十年も前であれば、それは当たり前だったかもしれません。

ただ、今は、本当にその言葉を言っていていいのか?

そうとも思います。

どこか、上から目線のように思えて、
かといってその使っている人たちは、差別的な人ではなく、
良かれと思ってやっていること。

福祉施設も同じ。

良かれと思い作って、
そこに入ってもらうことで、固められていることは、
その障害がある人にとって本当にいいのかといったら、
そうじゃない。

居場所なんて言うと、
やっぱり福祉施設のように、
障害者だけ固めるようなことだって起きてしまうのではないだろうか。

自分たち支援者は、
こういう、「よかれと思ってやっていること」が本当に良いことなのか、
常に振り返らないといけないですね。

障害者の居場所は、あえて作るんじゃなくて、
居場所が自分で見つけていただけるように、
その方その方に合わせた
支援をしていくっていう方向の考え方に
なっていくべきだと思います。

それに、健常者といわれる側も、
まぜこぜ社会を良しとすることができるよう
働きかけていくことだと思います。

「障害者の居場所」は、物的空間ではなく、
人のこころの中に作っていくってことなんだろうなぁ。