言い聞かせることでは情報として残らない


私たち支援者が、
知的障害がある彼らと、何かを話す際に、
わかってほしいという気持ちのために、
言い聞かせるような話し方になることがあります。

間違ったことを直すようなことであったり、
慣習を変更することであったり、
急なアクシデントがあり、
それを解説するようなときなど、
色々な場面があります。

私たち支援者は、
彼らを引き留め、
話す時間を長くしたり、
同じことを繰り返し言っているようなことが、
ありませんか?

この時間、
支援者は、
ものすごく一生懸命です。

何とか伝えたいと思い、
必死な人もいることでしょう。

その必死な支援者の手前、
知的障害がある人は、
理解をしてくれたような
返事をしたり、
「もう、しません」のような宣言だったり、
支援者の望むような反応をしてくださることでしょう。

でも、
その行動は、
あくまでも、
支援者を喜ばすだけのことで、
実際には、
宣言したような行動にはなりにくいのです。

その場だけを
やり過ごすことだけのようです。

それは、知的障害がある人が悪い訳でもありませんし、
うそをついているわけでもありません。

自分本位の事や、
自分ができることであれば、
言われたようなことを
やっていこうと思うことでしょう。

でも、そういう時の支援者の言葉は、
彼らが中心にいない。
だからこそ、
彼らは自分ができないとわかっているのです。

もちろん、
その時は、支援者の言うように
努力しようと思うことでしょう。
でも、その時の気持ちは、
長続きはしません。

なぜなら、
できないことだからです。

このような時は、
支援者が必死なので、
その人のできることや
やりたいことなどが、
眼中になく、
支援者主導の考え方で、
まとめようとする方向性がありますから、
自分のことしか考えていないことに気づかず、
彼らのためを思って言っていると勘違いをします。

こういう場面は多くあるはずです。
だからこそ、
支援者自身が、
自分をコントロールすることです。

どんな言葉が伝わるのか?
どんな持ち掛け方が伝わるのか?

そして、どんな方法なら、
理解していただけ、
行動に移していただけるのか?

相手を理解するというのは、
こういう部分なのではないでしょうか?

あなたがいくら必死であっても、
伝わらなければ意味をなしません。

意味をなさない時間は、
お互い苦痛ですし、
喪失感やストレスにもつながります。

私たちは彼らに伝わるように物事を伝え、
そのことが彼らの良き情報として残り、
彼らの人生の中で
活かせるようにするべきなのです。

自分の話し方、
話題の作り方、
彼らの心に残るプレゼンテーションを
意識していきませんか?