人でも動物でも、
行動するのには、理由があります。
理由があってから行動していることは、
知的障害のあるなしに関わらず、
誰もが無意識のうちにしていることだと思います。
たとえば、ご飯を食べようと思う理由があったり、
イライラしている理由があったりするということです。
ここに、知的障害のあるなしは、関係がないのですが、
私たち支援者は、あえて、この「気持ちと行動」の流れを知っておき、
知的障害がある人に接することをお勧めします。
そして、知的障害がある人の頭の中で
何を考えているのかが、
わからないという状態であることは、
全ての支援者に言えることです。
わからなさの中で、支援者にとって「突然」に行動が始まります。
すると、
「何が起きたのか!?」という驚きと、
「なんでそんなことになったのだ?」という
知的障害がある人へのある種の不信感になることがあります。
特に、支援者自身の常識の範囲内で
考えられることであればよいのですが、
予測もしないようなことだったり、
認めたくないような行動の場合、
受け入れがたいということなのでしょう。
そういう場合は、
支援者の中で批判が始まったり、
その知的障害がある人自身を否定することになりやすく、
疑ったり、行動を止めたりすることになりかねないのです。
たとえば、
「問題行動がある」
「いたずらをする」
「こだわりが止まらない」
「余計なことをしている」
「勝手にやる」
「無駄な動きがある」
「無断外出をする」
「相談もなくやる」
「わからないと言えばいいのに言わないで間違う」
などと、思ったことはあると思います。
知的障害がある人の行動により、
これらの感情が、
支援者に出てしまうわけですが、
これは、そういう風に見えているから、
そういう言葉になってしまうのでしょう。
さて、考えてみましょう。
なぜ、その行動をしたのかと。
そもそも突然と見えているのは、
先に書きましたように、
彼らの感情が見えないからです。
知的障害がある人は、
何かの感情を有したからこそ、
その行動をしていますが、
支援者には、わからないわけです。
だからこそ、
いたずらとか、問題行動というような言葉で
その行動を評価するのではなく、
あなたが思った行動そのものの理由を
別の角度から考えるということです。
もう少し具体的に書きましょう。
「職員の後ろから髪の毛を引っ張るといういたずら」という表現について、
「職員の後ろから髪の毛を引っ張るという行動」という言い方に変えてみてください。
「いたずら」と思ったのは、あなたの感情です。
知的障害がある人が
「いたずら」をしたわけではないことも、
あるのです。
目の前に起こっている行動に対し、
あなたの感情がその行動の評価を始めてしまうことで、
真実やその裏に隠されているその人の感情が
見えなくなることが起きているようです。
その行動そのものは、
表現の一つです。
例えば、髪の毛を引っ張るという行動は、
知的障害がある人の感情が何かの理由で引き出され、
その表現をした結果なのです。
ですから、その行動を見かけた時に
やめさせるということに走ったり、
注意をして、
やめたから問題解決と思うのは、
支援者だけなのです。
やめさせられた側の、
知的障害があるその人は、
自分の心の内をわかってもらえていない状態です。
さて、この後、どういう風になるか?
またくり返したり、
もっと違う行動が表出する可能性があります。
なぜなら、支援者はその人の思いを
拒否しているわけですから。
ですから、表面に見えた行動を
今一度、捉えなおすことをお勧めします。
あなたの感情でジャッジせず、
まずは目の前に起きている行動の意味を知ろうとしてみてください。
何か理由があったから、この行動なのね?という受け入れをすると、
その知的障害がある人も、ほっとすることでしょう。
知的障害がある人は、
自分が思っていることを
相手にわかるように
言葉で簡単に、説明できる人ばかりではありません。
私たち支援者として、
彼らが声に出さずに考えていることを
まず知ろうとして、
それに合わせた支援をして、
さらには、表現方法を変更することが必要な場合もあるわけです。
私たち支援者は、
知的障害がある人へ
何のために支援を開始しようと考え、
これからも、
関わっていこうとしているのでしょうか?
障害に支援をするとは?
支援の原点に戻りましょう!