それは、できるようになるべきことか?


知的障害がある彼らには、
わかるものや
新しく覚えられるものの数が、
少ないことや、
難しいと感じることが、
多いことがあります。

何でもできるように
なるわけでもありませんし、
彼らができることや、
彼らに覚えてほしいことは、
厳選していきたいのです。

では、どういう内容を
覚えたほうが良いか?
できるようになったほうが良いか?
は、人によって違うのです。
できるようになりたいと言っても、
できなくてよいことも
たくさんあります。

例えば、私たちもそうだと思うのです。

言葉の意味をそれぞれすべて、
覚えていなくても、
「辞書」というものの引き方を
覚えていることで、
意味の全てを覚えていないですよね。

計算も難しければ、
電卓を使ったり、
相手の電話番号も、
携帯のアドレス帳に入れておけば、
覚えなくても大丈夫です。

このような、
「代理のもの」を
使いこなすことができれば、
覚えずに済むわけです。

お金の使い方ができない人に、
計算ドリルを与える支援者がいます。

それで、お金が上手に
使えるようになるかというと、
実はそうではないのです。

彼らから、2桁同志の掛け算が、
計算機を使わず、
できるようになりたいと
言ってきたとしても、
そのようなことは、
生活の中にさほど必要ありませんよね?

そういう場合も、不要なのではないかと
確認することもするべきです。

彼らの人生には、
何が必要なのでしょうか?
ひとりでできるように
なったほうが良いのは、
どんなことでしょうか?

たとえば、同じ作業をしていても、
ひとりひとり、
できることは違いますから、
支援することは違いますし、
すべてができなくても、
かまわないですよね?

そのように、
「障害」も見るべきですし、
誰かと同じことが
できなくてもよいのです。

そこを間違えて、
その人の人生に
全く必要ではないことを
覚えてもらおうとしたり、
できるようがんばらせたりする支援者が、
いるのです。

本人がやりたいと言ったから
といっても、
時によって不要なこともあります。
(先ほどの2桁の掛け算の例)

もし計算ができるようになりたいのであれば、
計算機というものの存在を知らせるなど、
彼らのニーズの実現には
いろいろな方法があることを
提示すべきです。

彼らも、
がんばってやろうとするので、
支援者の思惑の通りに、
するとは思いますが、
よくよく聞いてみてください。

やる意味を持っているのか?
興味があるのか?
なぜやりたいのか?

つまりはニーズです。

そして、そのことができなくても大丈夫
ということも伝えてください。

やらなければならないと
思っている人は、
がんばりすぎますから。

彼らの意思を多方向から確認せずに、
やらせているだけではだめなのです。

支援者は、
その人の人生を
思うべきです。

人生の中で必要なことに対して、
支援をするべきですし、
他に代替ができるならそのほうが
良いのです。
不要なら、
やらなくてよいともいえるはずです。

特に大人になって、
小学生のドリルなどを
やってるような場合は、
考えてみましょう。

何が人生に必要か?
できなくても支障がないことは何か?
代替はきくか?

彼らは、一つ一つすることにも
時間がかかりますから、
簡単に、
やりやすく、
できるようになること(もの)で、
生活や人生の中に必要と思われることを
優先して見立てて、
支援をしていきましょう。