津久井やまゆり園の事件について、今思うこと20160726



2016年7月26日
嫌な朝になりました。

日本で起きている事件とは思えず、
他国で起きた何かの報道だと思いました。
それが、神奈川県で起きている事件。

まさかと思いましたが、
この手の報道がなされるときに、
いつも思うことがあるので、
今日は改めて、
私の考えを書いておきたいと思います。

できれば、でよいのですが、
あなたが障害者支援事業所の職員であれば、
何人かでこの記事を読んでください。
できれば管理職の人と共有してください。
なぜなら、あなたが一人で読んで、
あなただけの変化したとしても、
大きな変化に結びつかない可能性があるからです。

*****

虐待の事件が起きた時も思うことです。
利用者の皆さんは苦しかったろう、
痛かったろう、
つらかっただろう、
そんなことを思いつつ、
私は悔しいという気持ちになります。

今回は、すでに、亡くなられた方がいらっしゃいます。
ご冥福をお祈り申し上げるとともに、
大きな傷を受けた皆様の
一早くのご回復を願いたいと思います。

そして、私は報道だけを信じることはしません。
それはどんな時も心にとめていることです。

そして、そういう事実に対して、
私は発信という方法で
お手伝いをさせていただくことにしています。

さて、
入所施設、元職員とありますが、
なぜ、こういうことを起こしたのかを
全容を知る前に、自分の考えを書かせていただきます。
(ただいま、26日午前中です。
あえて、朝の第1報のニュースしか見ていない状態で書きます)

この手の報道は、
容疑者の言っていることや
報道だけでは、わからない部分があります。

これは、人というものは、
そういう行動をとるからです。

人は、自分の考えを包み隠さずに話す事もないし、
自分の本当の気持ちを、相手に伝わるように
表現できる能力を持ち合わせていないし、
その前に、自分の本当の気持ちさえ、
気づいていない可能性もあるのです。

何かの原因で、
こころや考えのなかで、
変化が起き、
それを、表現する時に、
今回のような殺人や
未だになくならない虐待という形になることがあるのです。

考えと表現が、
このように、ちぐはぐだったりしますが、
こうするしかないと
思い込んでしまう事も多いので、
そういうものに支配され、
自分自身が負けてしまうのでしょう。

ですから、私は、虐待にしても
こういった事件にしても、
被害者を思いつつも、
加害者も思うことをしています。

許せないことであったとしても、
「許せない」などの怒りの感情を
吐露するだけでは、
解決にはならないのです。

何があったのだろう?
困ったことがあったのかな?
助けてくれる人は、いなかったのだろうか?

施設であれば、
絶対にそこに何かあったのではないかと思います。
利用者との関係というより、
上司と部下との関係はどうだったのだろうか?
と思うこともします。
また、利用者の支援で、
困ったことがなかったのだろうか?とも思います。

なぜこんなことをしてしまったのだろう?
という部分は、
常に、様々な角度から考えられる自分で
いたいと思いますし、
みなさまにも多角的視点で
見ていただけないだろうかと思っています。

本当は、どんな理由だったのか?
この犯人に、何が起きたのか?
犯人が捕まれば、この事件が終了ではありません。

追い詰められた精神状態によっては、
誰でも起こしてしまうかもしれないからです。

という意味では、
職員を管理する者たちに課題を残しています。

こういうことが起きると、
管理者は厳しく管理をしようとします。
法律もそうです。

○○しなければならない
○○してはならない
そういう言葉で職員を縛ります。

果たしてそれがいいのか?
そんな疑問も残ります。

規則でがんじがらめにすることでのストレスは、
また違った部分への表現となるでしょう。

管理者は、
いかに利用者を大切にした支援ができるか?と同時に、
いかに、職員が働きやすくなるか?を中心にとらえるべきです。

職員たちが、
自分の状態や考えを、
うまく伝えられていない状態で、
ストレス性の虐待やこういった殺傷事件となっては、
そこにる罪なき利用者は、
言葉を失うばかりです。
それは悔しすぎます。

管理者が、
もっとできることがあるはずです。

そのために、
職員管理とは何か
知るべきです。

最近はわからないという管理者が増えています。

難しいよ、
できないよと、
声を聞きますが、
管理者もSOSを出してください。

私は、障害者支援に関わる職員たちが、
本来求めていた仕事を
楽しく続けてほしいと願っています。

それは、利用者の皆さんの
豊かなる生活に続くからです。

SOSを言って下さいと申しあげても
なかなか、SOSが出せていないのも現状ですが、
こういうことが起きるのは
起こす側も望んではいないでしょう。

それくらい、何らかのストレスを抱えると、
人間何をしてしまうのかはわかりません。

特に虐待は、一生懸命や
支援をしている最中にも起きていますし、
そこから死亡事故も起きています。

含めて言えば、親による子殺しもそうなのです。

一生懸命やっているにもかかわらず、
SOSも言えずにストレスかかり、
こうするしかないと思い込んだり、
かわいそうだからと、
殺める人もいます。

様々な状況の中で、
あなたがどんな考えを持つかにもよりますが、
あなたにも加害者になる可能性が、
ゼロではありません。
そういうこころの状況になったら
何をするかはわかりません。

だからこそ、
私たちは、ただ、加害者を敵対視し、
排除するだけでは、
問題は解決しないのです。

虐待、
殺人、
した人だけが悪いのでしょうか?

そういう視点で考える人が増えて欲しいのです。

悪いものをしたら罰すればいい。
臭いものにはふたをすればいい。
対岸の火事だから、気にすることはない。

そういう気持ちでは、
障害者支援の現場はよくなりません。

あなた自身がストレスを抱えにくい自分に
変化することも一つの方法ですし、
SOSを言いやすい自分になることも一つの方法です。

仲間を助けようと、声をかけられることも大事なことですし、
のんびり自分と向き合うだけの休日を取るのも大事です。

残業をしなくて済むように
時間管理や職員労務にも目を向けた、
どうやったら、事務量を減らせるのかという視点も
大事でしょう。

利用者の行動障害が激しければ、
その支援スキルも向上することで解決することもあります。

原因は一つではありませんし、
複数が絡み合って、ほどけなくなっているかもしれません。
解決する手段を一緒に考える人が必要なのです。

虐待、
殺人、
誰が被害者なのか?

加害者探しをすることも
解決ではないような気もします。

だからこそ、SOSや自分の考えを言える自分。
ちょっと変だな?と気づける自分が
一番重要なのかもしれません。

私は、虐待やこの手の事件を減らしたいと思っています。
だから、あなたのSOS、お待ちしております。
こんなことくらいと思った時点で、
かなり大きなSOSになっていると思われます。
一緒に解決しましょう。

あなたは、あなたの力で、今まさに頑張ってます。
これ以上がんばるのではなく、
自分ができることに
向き合ってみてはいかがでしょうか?

また、それを認める組織を作りましょう。

自分の力を信じて、前に進めるように
お手伝いいたします。

無理なのではないのです。
だめだと思っていては方策は生まれません。
ひとりだからできなくなっているだけです。

だからこそ、
ひとりで悩むことは得策ではありません。
ちょっとだけ勇気をもって、
ちょっとだけ一歩踏み出してください。

思っているだけではなく、
動き出しましょう。

全ては利用者のため、
あなたのためです。
応援団はたくさんいます。

あなたの考えていることを
人に話してみませんか?
アクセスお待ちしております。

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2件のコメント

  • 胸に刺さるよう。
    自己責任論では何も解決しないし、悪化していく。

  • 西井秀明

    すべての人に、生きること、学ぶこと、楽しむことを安心して営めることが無条件で保障された社会であれば、だれもがすべての人に優しくできるかもしれない。
    現実はちがう。
    毎日不安で苦しい。
    でも、それでも優しさを手放したくない。
    だからできることを懸命に頑張る。
    抱えている問題を転換し必ず幸せな日々が訪れることを信じる。そして自分を信じる。なんの保障もないけれど。

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