やると言ったのにやらないことの意味



知的障害がある人と話しているときに、
支援者の考えのままに
意見を取り込もうとする人が大多数だと思います。

もし、、
ご自分の意見を持っていても、
どうしても、支援者の意見に、
「はい」と言ってしまいがち。

だからこそ、
私たちは、支援者という立場で
彼らに意見を押し付けない会話が
できるようにしていきたいものです。

たぶん、
支援者である
あなたは、
意見を押し付けているつもりは
ないと思います。

知的障害がある人にとって、
良かれと思って
その意見を言っていることでしょう。

そして、知的障害がある人も、
支援者からの意見をご自身で考えて、
ご自分が正しく判断したと思っている人も
多くいると思います。

だからこそ、支援者は、
彼らの考えを、
本当にそうなのか?と
もう一度確かめるくらいの
確認が必要なのです。

例えば、
こう付け加えるべきです。

「これはあくまでも私の意見です。
あなたはあなたの意見を考えて大丈夫です」

というニュアンスを。

私たち支援者には、
感情が入りすぎるのです。
相手を大切にする感情ではなく、
自分が中心でいたい感情です。

そんな自分の感情にも、
なかなか気づけないと思います。

だからこそ、
あえて、
この意見は、
相手を大切にするのか、
自分自身を大切にするのか、
自分の言葉の奥底に、
どちらが入り込んでいるのか、
見抜くべきなのです。

自分自身が言った考えが否定されても、
良いのだ!と決めていないと、
なんで、言ったことを選んでくれないのか?
と、イライラすることにもなりかねません。
その時点で、
この意見に対する主役は
支援者自身となっているということなのです。

もちろん、
自分の言った意見を
前面に出さなければならないときもあります。
相手によっては、
ご自分の意見が持てない人もいるからです。

その時は、
本当にその人にとって
良い判断かどうかを考えるべきで、
ここで、自分自身の意見に
酔いしれてはいけません。

このように、支援者が、
自分の意見を言わなければならない場面は、
本当に多くありますが、
ぜひ、
その時に、知的障害がある人の
気持ちも引き出せる自分になり、
その人の生活するうえでのヒントになるように、
努めたいものです。

そのうえで、もう一つの場面を見てみましょう。

支援者の話した意見に、
同調し、支援者が確認したとしても、
自分の意見が出てこない場合や
支援者が言った通りで大丈夫だ!など
話し合いの時に、決定したとしても、
実際その行動ができるかというと、
その通りにやらないことがあります。

例えば、
「明日から△△をやってみます」
と言いつつ、
行動に移さないようなときです。

この時は、やるといったことが本音ではなく、
やっていないことが本音なのです。

「言ったのにやってないじゃないか!」
と怒ることではなく、
「やらないことが本音だね」
ということを確認することです。

彼らは、
うそをついているわけでもなく、
その時はやろうと思う
話し合いだったのでしょう。

でも、
実際自分でやろうとしたら、
やりたくなかったり、
できなかったりするのです。

支援者から提案されたときに
やらないという意見は言えないにしろ、
体験しようとして、
やらない選択ができたと解釈すると良いのです。

こういう場面で、
言ったのにやってない
ということに対して
関わるのではなくく、
やれなかったから変更しようとか、
あなたはどうやったらできると思うか?
という意見を引き出すための
一過程だと思えば、
良いと思いませんか?

あくまでも、
主体はその人ですから、
その人ができないことを
無理矢理やらせることではありません。

こういう過程も必要なのだと思います。

何でもかんでも、
支援者に言われたことは
できるわけではなかったり、
自分がやろうとしても、
思ったよりできなかったり、
そういうことだってあるのです。

このように、
私たちの意見がヒントとなることが、
その人が主体である支援となります。

やらなかったときは、
まさしく本音が出た時で、
喜ぶべき瞬間です。

本音が出せたことを認め、
一緒に喜び、
次の支援を始めましょう!