障害者虐待:多数の目があれば発見できるのか?


結論。
事業所で多数の目があっても、
それに頼ってばかりでは、
物事の起こりを発見はできませんし、
課題の改善もできません。

目の数ではないということです。
必要なのは、目の質です。

たとえば、ある案件。
起案(稟議)でもいいです。
報告書でもいいです。

書類であれば、
一般職からあげた時に、
主任がチェックして、
係長にあげます。

係長でチェックして、
課長にあげます。

課長でチェックして、
部長にあげます・・・

こういった時に、
自分が見なくても、次が見てくれるだろうと思ったら、
見逃します。

また、部下がちゃんと見ているだろうから、
自分が見なくてもいいだろうとか、
部下の言う通りに通してやろう、
などと、思ったりしても、
見逃します。

この原理で、
ケガの報告などが口頭で上がってきたときに、
もし、誰かがチェックをするだろうということで、
自分ができるチェックを怠った場合、
それは、何事もなかったかのように
処理されることになります。

たとえば、利用者にあざができた。
その利用者は、いつもよくぶつけることがあるから、
今日もそういうことでけがをしたのだろう・・・
職員が、見ているから、単なるケガだろう。
などと、理由づけをしてしまう。

そういう通常ありがちなけがに対して、
「今日の原因」を
気にしなければ、知ろうとしなければ、
スルーしてしまうということで、
何かがあったという事実が
なくなってしまうのです。

自分が見なくても、
誰かに任せておけばいいと思っていませんか?

あれ?おかしいな?
ん?どうして?

などと、疑問を持てるチェックができているでしょうか?

多数の目があれば、まちがいや虐待が、
防げるわけではなく、
たった1つの目でも、
気づく「質」を持った目であれば、気づけるのです。

逆に多くの目があるから大丈夫だろうと
思い込み過ぎると、見つけられません。

あなたの組織の多数の目の、
一つ一つの質を上げることを考え、
一人ひとりが実行することができるようにしましょう。

それは、間違いかもしれない。
間違いを発見できてよかった!

それは、虐待かもしれない。
虐待を発見できてよかった。

そういう気持ちになれるよう、気づきの目を持ちましょう。