自分のしていることが、自立につながるのだろうか



知的障害がある人の支援者は、
ひとりでできないことを
代わりにやってあげたくなる人がいます。

それが、支援だと勘違いをしています。

やさしさというものがそうさせてしまったり、
手のかかる子供のように思ってしまい、
自分がやってあげなければ!と
思い込むこともあるかもしれません。

また、やらせたところで
ミスをするだろうと思ったり、
ひとりでしてもらうことが面倒だったり、
いろいろな感情が、
彼らの代わりにやってあげるという
行為につながっているようです。

先ほども書きましたように、
それを支援と勘違いして、
やっていることに、
何も感じないのです。

いいとも悪いとも、
何も感じないで、
日常が過ぎて行っているようです。

私たちは支援者です。

支援者は、
その人ができることは、
基本的にはしません。

そのうえで、
今日できない場合は、
支援をします。

今日できなくても、
明日できたのであれば、
支援はしません。

支援をする前に、
こういった細かな部分も
確認をしているでしょうか?

できそうなのか、
できるのか、
今日はできないのか、
支援があればできるのか、
興味がないのか、
嫌がっているのか、
支援はどこまで必要なのか、
などなど、
視点としては、
本当はたくさんあるはずなのです。

でも、
時間がない、
面倒、
他の人にも支援が必要、
人手が足りない、
支援計画が作られていない、
私は正規職員ではないから、
などなど、
いろいろな理由をつけて、
その人の日常を
ないがしろにしていることはありませんか?

できることを私たちがしていると、
その人ができていたことも
できなくなります。

これは、
障害が重くなることにも
つながります。

自立の道を
いつも思い描いていたいですし、
自立は何でも一人で
できることでもありませんし、
見守りという支援も必要ですし。

私たち支援者は、
いつまでもその人について
一生を過ごすわけでもありませんし、
ひとりでできることは、
その人にとっても、
ひとりの自由を
手に入れることでもあるし。

私たちが、
彼らの人生を
大きく変える可能性も
あるわけですから、
私たちが、支援をする時に、
これは何につながるのだろうと
思い描けることにも
トライしてみてください。

また、
関わった後で、
やりすぎたなと思ったら、
少し減らしてみたり、
関わることで、
彼らがどんな感情となったかを
考えてみたり、
することも良いのではないでしょうか?

関わりすぎは、
自立度も低くしますが、
関わらなければ、
次の1歩につながらないかもしれません。

支援者とは、
試行錯誤を繰り返しつつ、
知的障害がある人が、
自立に向かうために
関わるものであると、
たまには立ち止まって、
自分の位置を確認していきましょう!

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1件のコメント

  • 支援する側が、もう一度、内省することに気づかせてもらえる提言、ありがとうございました。

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