知的障害がある方が、
一部嫌なことがあると、
そのやり方以外の方法があることがわからず、
そのもの全てを
嫌がることもありますよね。
じゃあ、嫌がった時にそのことが見抜けぬ支援者は、
それはご本人が言ったことだからと、
すぐにすべてやめさせてしまうなどしてしまった場合、
それは、支援ではないと思っています。
その言葉の裏に隠された意味を解いていかないと、
「嫌=やめる」
となったりしてしまいます。
例えば、外出が嫌!となった場合、
外出という「行程」の中の一部が嫌いだとすると、
嫌としか言えないので、
支援者は行き先が嫌いなのか?と思ってしまい、
じゃあ、参加しないということですね?というような
声かけをしてしまうようなことが起きます。
食事でも、
ワンプレートの中に嫌いなものを見つけて、
「ご飯食べない」ということを言う場合もあります。
ほんの一部のことなのに、
支援者は、そこから先の細やかな見方をしなかった結果です。
彼らからすると、
本当は行きたかったのに!
本当は、食べたかったのに!
となってしまいます。
これは、聞きとる力が必要です。
一部なのか、全部なのか。
そして、変更したらOKなのかどうか。
代替え案の視点を持つことも大事ですね。
嫌となった時には、
何が嫌なのか、全部なのか一部なのかを
確認するようにしてください。
そして、その嫌な一部について、
どういう対処をすると、譲歩できたり、
納得するのかを確認してください。
これくらい平気でしょ?という感覚ではなく、
心地よく参加したり、できたりができるように
私たちから歩み寄りましょう。