家族として毎日が苦痛です



あるご家族から、
このブログの
コメントをいただきました。

家族に「彼ら」がいる当事者です。
毎日が苦痛です。
コメ主様の美しい言葉にすがりたいですが、
私には彼らが価値があるとは思えません。
すいません。不都合でしたら削除して下さい。

これは、
知的障害者は、生きている価値があるのですか?
へのコメントとしていただきました。

職業的支援者の皆さん、
この方のこの言葉に、
何をお考えになりますか?

知的障害がある人は、
どこかのご夫婦の間に生まれ、
そこの家族になりますが、
そのご夫婦やその人のご兄弟や
親戚の人たちにとって、
初めて会う障害者の場合もあります。

まさか、自分の家に障害がある人が生れ、
自分自身が障害者の家族になるとは
思ってもいない人が、
多くいらっしゃると思うのです。

そんな状況ですから、
障害がある子供だと知った時から、
気持ちが下降し、
なぜ生まれてきたのだろう?
私が悪いのではないだろうか?など、
いろいろと思うことが、
多くのご家族に見られ、
そこから、
生れてよかったと思えるまでに
変化する家族もいるでしょうし、
先ほどのコメントの方のように、
生れてよかったどころか、
価値も見いだせないと思う人もいるのが、
事実なのです。

私たち職業的支援者は、
そこを表面的な言葉だけを見て、
間違ってとらえては、
ならないと思うのです。

なかには、
「お母さんががんばらないでどうするの!」というような、
言葉を吐く行政・教育・福祉・医療などが未だにあり、
さらには、障害者を知らない親戚や
ご近所から、省かれるようなことも起きているわけで、
可愛いと思うどころか、
殺してやりたいと思う家族が存在することを
知っていくべきです。

児童虐待死亡事故が、
1週間に一人の割合で起きており、
この中には、育てにくい子供とみなされた障害児も
含まれていることでしょう。

職業的支援者である私たちは、
家族ががんばることを、
当たり前と思うべきではないですし、
家族をやめたいと思われる人がいる場合、
その選択もありだと認識することです。

そして、そのような場合は、
SOSを発していると
受け止めるべきですし、
ご家族のニーズに沿った、
何かの支援が入れば、
違う道が開けるかもしれないのです。

SOSを発することが出来にくい場合、
学校や施設・病院にも
ご本人を行かせていない
ご家族がいるかもしれません。
だから、SOSが関係者に届きにくいのです。

「(彼らは)価値がない」と、コメント主さんはお考えです。

そういうお考えを否定するつもりも全くありません。
そう思う何かがあったと
言うことなのでしょう。

コメント主さんは、
きっと、より良い家族になるようにと
一生懸命だったと思います。
もちろん、今もそうだと思います。
毎日が苦痛だとしてもです。

障害者のご家族として、
様々な良いことも悪いことも
目の当たりにしているのでしょう。

ご自身のお体も
不具合が生じているのかもしれませんし、
もしかしたら、ご自身の生活にも
支障があるのかもしれません。

そんな中で、
障害がある人が、
家族の中心にいるのではないかと推測します。

相談ができればよいのですが、
こんなこと思っている自分は
家族として間違っているとか、
よくないと否定しがちなので、
相談はできにくいかもしれません。

まず、ご自分の今ある考えは、
正しいと思ってください。

誰もがそう思う瞬間があったはずです。
自然な感情でしょう。

そのうえで、
私たち職業的支援者が、
するべきことは、
障害がある人の支援だけではなく、
ご家族の支援もまた重要なのです。

ご家族が、
もう、がんばれないと思った時点で、
SOSを言いやすい支援者になることもまた、
私たち職業的支援者の役割であり、
行政・教育・医療などの関係者もまた、
こころをフラットにして、
そういう訴えを受け止める支援者となりましょう。

そして、お願いです。
コメント主様のような方が、
あなたのお近くにいませんか?

ぜひ、気づいていきましょう。

相手から発信がなくても
気づける自分になることではないかと思います。

毎日が苦痛。
知的障害がある人に価値を見いだせない。
など、こころを少しでも見せてくださった方に、
声をかけてほしいと思います。

そういう感情で、
大丈夫ですよと。

私はそう思います。

そういう感情の元を
どうすれば、解決方向に行けるのか、
一緒に考えたいと思っています。

だから、大丈夫。

皆さんの周りにもいらっしゃるはずです。
少し、見渡してみてください。
探してみてください。

よろしくお願いします。