質問は恥ではない



もともと誰かに何かを言われ、
それをしようとしていた時に、
わからなくなり、
別な人に質問をする。

その相手もわからなくて、
質問に答えられない。

そういうシーン。
ありますよね?

例えば、
上司に、
「○○をしておきなさい」
と、言われ、
「わかりました」と
返事をしたのはいいけど、
実際に初めてみたら、
よくわからない。

まさか、上司に聞きに行くわけにも
いかないよなと考えてしまい、
身近にいる話しやすい
同僚に聞く。

でもわからない。

どうしようかと思ってしまう。

さて、これは、聞く相手を間違っているのです。

そのことを言われた相手に聞かなければ、
答は得られません。

でも、なぜ、
違う人に聞いてしまうのか?

答は、
もうお分かりですよね?
こんなところにも
人間関係が潜んでいます。

言われたその人に質問ができない。

この時の、
自分の気持ち。

よく見られたいとか、
その人に質問したら、
どんな風に思われるのだろうとか、
「わかりました」といってしまったから、
聞くのが恥ずかしいとか、
こわいなあとか、怒られるかなあとか、
いろいろな感情生まれてしまい、
質問をすることを
ためらう自分にさせています。

でも、
これは、他の人では答えられないことです。

もし、
他の人に質問をして、
答えてくれたとしても、
「・・・だと思うよ」程度の、
不確かな情報です。

そうだよねと思い込み、
やっていたところで、
全くの勘違いとなり、
最初に話した人の思惑と
違うことにもなりかねません。

そのほうが人間関係を損ねることにも
発展しそうです。

ですから、やはり、
質問は、
発信者(最初に言われた人)にするべきなのです。

その場で質問することが一番効果的で
相手もササッと答えてくれます。

でも、その時はわかった気になるので、
質問も浮かんでこないことも多くあるはずです。

ですから、最初に指示・命令を受けた時に、
「あとでわからなくなったら、
質問をしに来てもよろしいでしょうか?」
など、先に言っておくことで、
質問もしやすくなることもあります。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言いますけど、
恥なのでしょうか?

質問をすることができることは、
よりよい人間関係のきっかけにも
なると思います。

人間関係って、
結局は関係性ですからね。
繰り返しやり取りをすることで、
慣れていく場合も多くあると思います。

私は、
質問する人の行動を
積極性と捉えます。

よりきちんと取り組もうとするには、
よくわからない状態ではいけないと思い、
質問してくるように思います。

そして、間違ったままでは
相手に失礼だと思って、
質問をしてくるととらえています。

ですから、
「質問をする自分」は、
間違いではないということです。

もともと、
「質問ははずかしい」
などと、
自分を間違った方向に
向かわせている自分を
違う方向から見ることです。

たとえば、
自分が質問されたらどう思いますか?
質問者をだめな職員だとは
思わないのではないですか?

質問できる自分は
積極的な自分なのだと、
見方を変えて、
話しをしてきた人に対して、
直接、質問をしてみましょう!