リスク回避のために経験させない?



障害がある人の支援をしていると、
支援者は、
ケガをしないように、
病気にならないようにと
気にかけ、
対応する姿が、
様々な事業所で見えます。

以前、新型インフルエンザが流行った時から、
建物の入り口にアルコールスプレーが置かれ、
何でもかんでも消毒をして回る
事業所があります。

公園で遊んでも、
砂場は雑菌だらけとなり、
誰も近寄らない状態となったり、
木登りをすると、
落ちたら危険ということで、
禁止命令。

走り出しようものなら、
転ぶからと、止めるために
支援者も追いかけて走る。

ハサミは、
使わせない。

出来立て熱々の食事が入った食器は
運ばせない。

確かに様々な所に、
危険はひそんでいますから、
このように、
危険を回避し、
経験もさせないことは、
確かに安全で、
ケガもしないですし、
病気にもならないかもしれません。

でも、
果たしてそれでよいのでしょうか?

私たち支援者も、
今まで生きていく中で
いろいろな経験をし、
ケガや病気をしたり、
知り合いや家族がそういう状況になることで、
こういうことをしたらケガをするのだと
言うことがわかります。

ニュースも役立つ情報です。
ケガをした理由がわかりますから、
自分はやらないようにと
気をつけようと
考えることができます。

さて、私たちは、
情報を自ら取ることが出来、
経験したのと同等の、
注意を払うことに
つなげることができます。

でも、知的障害がある人は、
情報を自ら取り、
将来的に気をつけることが
できにくいのです。

だから、支援者が、
そういう経験をさせない方に
持って行こうとします。

では、絶対に、
怪我しない場面で
一生暮らすことが出来るのでしょうか?

人生の中で、
いろいろな人とのかかわりの中で、
やはり危ないことを経験をする場面に
遭遇することはあり得ます。

たとえば、ハサミを使う場面は、
あなたが、使わせないようにしていても、
できそうな人だと判断した支援者が、
経験させる場面を作るかもしれません。

私たち支援者が、
危険を伴う経験をさせないのは、
知的障害がある人が、
ケガをしないようにするためと
思いがちですが、
それは、その場かぎりのことで、
将来を見越した支援ではないと
思いませんか?

つまりは、
臭いものにふた。

経験させなければ、
その人は知らないので、
それ以上にはなりません。

私たち支援者も、
心配することもないですし、
リスクも減ります。

でも、
その人の将来的なことを考えれば、
今、経験しておいた方が
良いこともあります。

ただ経験だけをさせることは
支援者ならするべきではないのです。

できることと、できないことを見極めつつ、
間違った使い方をすればケガをすることも
見極めるべきです。

つまり、その時に、
危険かもしれないという
リスク回避の仕方も
同時に支援することではないでしょうか?

経験させないことで、
ケガをしなかったからよしとしている
傾向がありますが、
日常的に経験しそうなことは、
経験と危険回避をセットにしつつ、
万が一けがをした時も、経験として
捉えることなのです。

例えば、
作業をする年齢になると、
「けが」とは、隣合わせです。

熱いもの
鋭いもの
高いところ
重たいもの など、

そのようなものを
その時初めて経験するより、
日頃の生活の中で、
経験できていたことがあれば、
役立つことになるのです。

さらに具体的にお話ししましょう。

熱いラーメンは食べさせないとか、
支援者が、冷ましてから
食べさせるのではなく、
熱いものだとお伝えし、
冷ます方法を
伝えたり、
やり方を説明するのです。

そして、ご自身で、
冷ますことが出来るようになることを
セットとするのです。
もしできなければ、
「できません」「冷ましてください」
と表現できることも、
支援することですね。

イメージできますか?

経験させないことは、
ご本人主体ではなく、
私たち支援者の
身を守ることが、
主目的のような気がしてなりません。

だからこそ考えていただきたいのです。

このような関わりの中で、
できることが増えていくことは、
今だけではなく、
将来を見据えてのこと。

そして、支援者が、
リスクを減らすために
経験させない方向が行くのは、
まちがいであること。

リスク回避もご本人にできるようになると、
ケガや病気になりにくくなること。

そんな視点をお持ちください。

将来のために、
経験は大きな力となることを考え、
支援をしていきましょう。