あなたの支援は「支援」だろうか?



知的障害がある人の支援をしている人の
話を聞くと
よく思ってしまうのは、
どちらが主人公なのだろう?ということ。

「支援者」
「ご本人」

支援者は、ご本人が主体だと
思っているのだけれど、
実際は、
支援者がしている行動を見ると、
そうでない場合も
多いのです。

それは、
たぶん、支援者ご本人には
わかりにくいのです。

なぜなら、自分自身は、
そんなつもりもなく、
彼らに必要な「支援」だと思って
しているからです。

でも、そのあなたの行動は、
彼らにとって必要な
「支援」なのでしょうか?

虐待ではないにしても、
でも、彼らにとって不要なものは、
障害を重くする関わりであったり、
経験させないことだったり、
自立を後押ししない、
何でも手伝ってしまう、
おせっかいだったり、
そして、
人権を無視した関わりもあります。

支援者は「支援している」と思いつつ、
こういう「関わり」をしているのです。

彼らの人生は、
彼らが主体ですし、
私たち支援者は、
彼らが人生の主人公になるように
後押しをし、
支援をするのが常です。

そして、「障害」が、
社会の中に存在するわけですから、
社会を変えるために
働きかけをするのも
私たちの役割としてあります。

でも、悲しいことに、
彼らを社会に合わせるための
関わりがとても多く
見受けられるのです。

そうなると、その支援で、
あなたが主人公のように
思えてなりません。

障害の軽減。
これは、何を支援することなのか、
そして、彼らを受け入れられる社会を作ることなのか、
見立てができていないからだと思います。

社会のルールに、彼らを合わせ過ぎ、
彼ら自身が必死にならなければならない生活は、
本末転倒です。

ここまでできなければ、
就職できないと言い切るのもおかしな話。

利用者にも
何事も注意や反省を中心とし、
施設側がご本人に努力を求めるのも
おかしな話です。

彼らができることや、
彼らに支援することで、
彼らが暮らしやすくなることに
焦点が当たっておりません。

彼らができないことを、
彼らの努力だけでできるように
なることばかりを強いるのは、
支援と呼べるのでしょうか?

どうも、
その考えの筋に
支援者が中心となり、
彼らの人生が決まってきてしまう。

何を私たちは支援するのか?
何のために私たちは支援するのか?

自分の支援と思っているのは、
彼らのためにある支援ではなく
社会や自分を中心とした関わりに
なっていないか?

そのあたりを
やはり、常に
立ち止まって
考えるべきなのでしょう。

自立は、怒られてできるものでもありません。
社会に合わせることが主になって、
辛くなることでもありません。

もちろん、支援者の業績を
測るものでもありません。

あなたの支援は、
本当に支援と呼べるものなのか?

ご本人主体。
ご本人の自立に必要なものは何か?

そういう目を持てる支援者になりましょう。