「がんばる」は、ご本人スタートでいこう!



知的障害がある人の支援で、
だれが、どんな気持ちで
「がんばる」のか。

間違いやすいのは、
彼らに
がんばらせる支援者が多いことです。

障害があるからできないこともあるので、
支援が必要ですよね?
だから、
支援をがんばるのは、私たち。

まあ、実は私たち支援者も
がんばりすぎは、
よくありませんけどね。

私たちが、
彼らの自立をすすめるとか、
困っているところを減らすとか、
できることを増やすとか、
そういう部分が支援です。

なのに、
私たちが、
支援をせず、
彼らにできないことをできるようにと、
がんばるよう促し、
彼らのがんばりがきかないと、
もっとがんばらなければダメだといい、
そう言い続けていることが
支援だと勘違いしている人たちがいるのです。

私たちから、
その人にあった支援ができれば、
がんばらせなくても
今まで以上に、
障害が削減できたり、
心地よい生活になることはできますし、
そのうえで、
もうちょっとがんばってみようかな?と、
ご本人が思えたら、
さらに、生活は豊かになるのです。

そこにある彼らの「がんばり」は、
私たちが、強制的にがんばらせるのではなく、
自分で、工夫をしたり、
がんばってみようかな?
と思えているかどうかで、
質が全然違うのです。

私たちもそうです。
通常状態は、がんばらなくても、良いのですが、
何か新しいことをしたいときや、
ちょっと早くしたいとき
たくさんしたいときなど、
自ら「がんばろう」という気持ちが出て、
がんばっているときは、
何のストレスも感じません。

人から言われ、
がんばっているのに、がんばっていないと解釈をされ、
さらなるがんばりを要求されるようなときは、
ストレスも溜まりますし、
なんで、がんばらなければならないのかと、
後ろ向きになることもあります。

ポイントは、
その状況の中で、
自分からがんばると決められたことなのか、
人から与えられたがんばりの要求なのか、
です。

私たち支援者は、
私たちからがんばるよう要求していることが多く、
それでは、彼らは、がんばりはききません。
それに、そういう要求は彼らのニーズにも合わない、
視点がずれている可能性もあります。

自分から、
がんばってみようかな?という気持ちになるのも、
支援者がどれだけ彼らにあった支援をしているかにも
よるかもしれません。

彼らが、支援者の支援に納得し
障害が減少した時点で、
さらに自分でも少し、高きを目指す時かもしれません。

ですから、そういう気持ちにならない人に
がんばりを強要している支援者は、
自分の支援内容を考え直しましょう。

そして、自らがんばりたいと言ってきた
知的障害がある人には、
応援も含めた支援をプラスしていきたいですね!