知的障害者の施設や事業所では、
彼らの個別支援計画に基づいて、
ニーズに合わせた支援を
展開しているところだと思います。
そして、様々な活動を提供し、
その活動に参加していただくために、
職員の努力は続きます。
○○してくれない
という利用者はいませんか?
活動に参加してくれない
職員の言うことを聞いてくれない
うんと言ってくれない
一緒にいてくれない
この、○○してくれない利用者は、
職員から見たときに問題となり、
様々な工夫をして、
○○してくれる人にする場合もありますし、
○○しないことで、
その利用者が悪者になる場合もあります。
こんな時、
職員は、
自分たちが作った
プログラムを重視します。
例えば、給食は12時から食べるのが当たり前
という場合、
12時に食堂に来てくれない利用者は、
問題となります。
だから、12時から
みんなと一緒に食事をする利用者に
なってもらうようにと
関わるわけです。
この時点で、
職員は間違っている支援状況だと気づかず、
良かれと思ってやっているでしょうね。
私にはこんな疑問が起きます。
どうして、
12時から食べなければならないの?
12時から食べるのではなく、
13時までに食べて、
13時から午後の活動をできればよいはずなのに、
12時から食べる人がよしとされ、
12時から食べない利用者が、
問題とされるような風潮があります。
これは他の活動もそうですが、
「○○してくれない」
には、集団論理が働き、
集団と同じことをしてくれる利用者が、
良しとされる傾向がありませんか?
先ほどの事例で言えば、
12時から食べない理由があるのに、
そこは、見ないのです。
そして、12時に食事をすることに
仕向けるわけです。
このおかしさに、
気づかないのが職員。
気づかないから、
どんどんエスカレートする。
○○しない利用者の理由を確かめれば、
「そういう理由だったのね、だったらわかるよ」
となるはずなのですけどね。
いままでの慣習が変えられないようです。
人を大切にする。
その人が、その人の人生の主人公になる。
私は、そういうことのために
支援をしていくべきだと考えます。
集団に合わせたり、
職員の「常識」に合わせることが、
どんなに彼らを不幸にしているか?
良かれと思ってやっているその関わりが、
どんなに人権侵害を犯しているか?
そういう視点を持って
取り組むべきだと考えます。
これがその人にとって良い支援だと
思ってやっているわけです。
だから間違いに気づかない。
自分自身を振り返ることを
やはり、常々、考えて行ってほしい。
この関わりは、
本当に支援なのか?と。
支援という関わりと、
単なる関わりは違います。
支援でなければなりません。
おせっかい、
人権侵害
虐待
全て関わりです。
でも、私たちは支援をするという
関わりであるべきです。
自分のしていることに、
彼らは、意見をしてきません。
その関わりが嫌だと言ってこないでしょう。
がまんをしているのは彼らです。
○○しないという人には、
私たち支援者が気づくべきことを
教えてくれているのだと
思いませんか?
そんな気づきをいただいた利用者の人に、
感謝しつつ、
その人が主人公となるべく
支援を考え実践していきましょう!