何か話す時に、
相手に合わせた話し方で話しているでしょうか?
相手に合わせるというのは、
まず相手が意味をわかる言葉を使うことです。
そして、自分の感情を押し付けるのではなく、
相手の感情も感じ取りたいところです。
さて、街で出会う親子連れの
言葉の使い方は、
親の本意になりがちで、
子供には伝わってないだろうなと思うのです。
親の方を見れば、
どの親も同じような言葉を使っていますので、
親になったとたん、
誰かのマネをしているのではないでしょうか?
特に私は、
電車の中での子供を連れた親の
話し方に違和感を感じています。
どんな違和感かというと、
子供の人権が後回しになっているよう感じることです。
子供にわからない言葉を使い、
相手の言いたいこともさえぎり、
反論すらできない状態で、
上から押し付けるような感じの時です。
楽しい雰囲気の時は、
言葉のキャッチボールになっているので、
親も子供がわかりやすいように
合わせた話の仕方ができています。
でも、イライラ度合いが高いときは、
どうしても、
どこの親でも使いそうな言葉で、
威圧的になっているのです。
この場合、
第三者の私から見ると、
子供に言っているのではなく、
周りの人に、
「私、こんなに大変なの」
と言いたげな声の大きさにもなります。
特にスマホをいじって、
自分自身が自分で間をとりなすことをしている際に、
子供が何もすることがなく
身体を動かしていたりすると
「じっとして」
「何やってるの」
「遊んでないの!」などと言っている親が多いのです。
自分のことを棚に上げていますよね。
最近、
初めて聞いた言葉は、
「協力」でした。
最初に何を言っているのかわかりにくかったのですが、
ご飯を食べないお子さんに
一口でよいから食べるようにと、
促していたお母さんです。
食べれば「おいしい」とお子さんも思ったようで、
にこやかな家族の食事風景なのですが、
食が細いのか、
すぐに食べなくなる子で、
一瞬にして大きな声で「協力!」
というのです。
「親がイライラしないように協力して!」という
意味合いだったようです。
さらに、
何とか食べさせようとして、
「ジュース飲む?」と聞き、
即答しないと、
大声で「お母さんが飲んじゃうよ」という
言い回しをするのです。
良い部分と良くない部分が
次々変わるお母さんで、
同じ食事場面にいる他の客としては、
おいしい食事も早く終わりにして
帰りたくなる状況でした。
言葉の先は、
誰が主体なのでしょうか?
これは、支援者の自分に
いつも投げかけることです。
誰が主体なんだろう?
そこを忘れてはならないと。
親子であれば、
子供は主体になれないのでしょうか?
親が楽しめれば、
子供に対しても
言葉かけの仕方が変わるということは、
それはやっぱり親が主人公なのだろうと思うのです。
私たちも支援者もそうです。
その時、誰が主人公なのかなと
思えるようにしたいところです。
職場の同僚でも、
家族でも、
その人が話している意味は、
ご本人主体のための言葉なのか、
それとも、支援者主体の言葉なのかと
第三者としても気づける
自分でありたいと思いませんか?
その人の人権が考えられれば、
明らかに言葉も変わってきます。
人間ウォッチングをしていると、
良い場合の言葉は実は少ない傾向です。
お子さんたちは、
心痛めていないかなと思うほどに、
親から理不尽な言い回しをされています。
その言葉は、
お子さんが中心にいる言葉ですか?
その言葉で通じますか?
その言葉の意味を分かったかどうかを確認していますか?
そんなことを思うのです。
自分が子供の時に、
どんな言葉を喜んだのでしょうか?
子育てが「大変」の連続にしているのは、
言葉を発しているあなたの見方なのかもしれません。
見方が変われば、発する言葉も変わってきますから。
何をしたいのかな?
何でこんなことをしているのかな?
と、感じ取ることです。
感じ取る前に言葉を発することは避けたいところです。
イライラしているのは、
なぜかも考えてみましょう。
お子さんが原因でないことの
ホコ先になっている場合もありますので、
ご自身を第三者的に見ていくのも良いと思いますが、
言葉の奥に、
親の持っているその時の気持ちが
大きな意味を持っているようです。
あくまでも子供に伝わるように、
言葉を選んでいきましょう。
子供もあなたの言葉の意味がわかれば、
行動や表情も変わります。
そして、支援者である私たちは、
このことを
自分の支援現場に置き換えて
振り返り、活かしていきましょう。