知的障害者の支援者は、
よくこの言葉を言います。
「相手の立場になって考える」
では、具体的にどういうことかというと、
検証されていないかもしれませんね。
相手
立場
その立場になってみる
私たち支援者は、
彼らと同じ「障害」の体験をすることは、
なかなか難しいのですが、
彼らの立場になるとは、
どういうことなのでしょうか?
私自身が、
相手の立場になって考えるとは、
日常的に思わないにしても、
よく考えるのは、
自分が言ったりしたりしていることを、
自分が言われたら、
やられたらどう思うだろうな?
と考えること。
私の言葉は難しくないか?も
よく考えます。
もし難しいかもと思えば、
言いなおします。
そして、
相手の目線になってみること。
たとえば、これは、物理的に、
その場に座ってみたりと言うことも含めてです。
床に寝転がっていれば、
一緒に寝転がってみることもあります。
そこで感じることがあると思うからです。
左利きの人ならどうなるかとか、
同じ作業を片手でしてみることもあります。
そして、私がやっていることは、
やっていて大丈夫なのかを、
ご本人に聞くこともあります。
聞くことで、
彼らが思っていることを
言ってくださるからです。
これは、聞かないと、ご自分からは、
言い出せないと思っているので、
あえて聞きます。
さらに、
私の意見は○○だけど、
それは、あなたが決めていいからねと
言うことも話します。
自分だったら、
自分で決めたいよなとも思うので、
決められる部分は、
できるだけ決めていただく機会にします。
すると、こういうことを考えているのかと、
知ることができます。
机上の空論は、
できるだけ避けたいと思っています。
研究だけというのも、
やはり好きではありませんし、
お偉いさんが言っていることを
うのみにすることでもありません。
自分は実践の中で間違いがあっても、
実践の中で訂正できる自分でいたいからです。
自分で、彼らの
心の状態や考えていることを
できるだけ知っていくことでしょう。
そして、
これをされたら、彼らは嫌だろうなと
思うことはしないこと。
彼らの笑顔を
たくさん見ることができたり、
嫌という表現をできるようになることを
うれしく思える自分でいたいと思います。
もちろん、その時笑顔じゃなくても、
将来までを考えて、
今だけにとらわれることの無いようにも
していきたいと思うのです。
「相手の立場になって考える」は、
相手だったらどう思うだろうな?と
考えて、自分の行動を振り返ることです。
でも、そうであるなら、
わざわざ「彼らの立場になって考える」
などと言うことは、
考えないといけないことなのでしょうか?
ある意味、
不要にしたい言葉です。
そのようなことを言わなくても、
普段の中で、
お互い様の中で、
できることにしていきたいことです。
相手があって、
自分があって、
持ちつ持たれつ。
そんな関係の中で、
彼らならどう考えるかな?
という質問を自分自身にし続けることです。
「相手の立場になって考えている」
とばかり言っていることで、
それこそ、机上の空論に
ならないように気を付けていきましょう。