知的障害がある人に対し、
もう大丈夫だろうと、
あえて「支援の終了」をすることが、
できない支援者が多く、
心配で、
いつまでも自分が支援を
していかなければ
ならないような
気がしてしまうものだと思います。
でも、支援の基本は、
できないところをする。
もっと支援が必要な人がいるにもかかわらず、
目の前の人だけに関わる場合が多くありますよね?
でも、本来、
支援が必要な人はたくさんいるので、
支援が不要な人までし続けていると、
需要と供給が間に合わない状態になります。
もちろん、施設であれば、
いつも労働の外に追いやっている
事務作業などの間接支援も
あるわけですから、
支援が不要な人にまで、
支援と思って関わることを
している必要はありません。
ですから、
支援の終了と言うことも
頭の隅に入れつつ、
支援をしていくべきなのです。
人は、
習慣化していると、
それを大変と思わず、
やり続けることができるようになります。
この慣習かが
作用しているようで、
支援も、毎日のことですと、
必要か必要ではないかと考えずに、
続けている人も多いと思います。
例えば、トイレ介助をしていた人が、
ひとりでできるようになったのに、
心配で、毎日ついていっている。
そして、失敗はせず、一人でできている。
これは、不要の域です。
支援は必要な人にする。
需要と供給という視点を見る。
そして、一番大切なのは、
自立のために
支援をするということです。
知的障害がある彼らにも、
できることはひとりでやっていただき、
自立していただく瞬間を
多く作り出してこそ、
私たちの支援がよりよいものになると思うのです。
ある支援をしていた人ですが、
だんだん上手にできるようになってきて、
ひとりでやってみることにして、
約1カ月がたちました。
大きなSOSもなく、
順調に進んでいるので、
今回、支援の終了を話してみました。
ひとりでできていることを確認し、
できなくなったら、また、
手伝うことを約束しました。
もちろん、毎日顔を合わせている人なので、
SOSはすぐにいえる状態です。
その際に、ご本人から、
「不安が出て来たら、またお願いするよ」
と言われたのです。
これで、支援の終了としました。
ここからは、見守りつつ、
たまに確認程度。
もちろん、
その人のできる力を信じて、
そっと寄り添う感じで。
見守り支援と言えばその域ですし、
支援の終了じゃないといわれるかもしれませんが、
できることの域に
入っていると解釈しましょう。
こうやって、
自分たちから、
支援の終了をしていくことで、
別な仕事や別な支援は、
あるのです。
その人に、毎日支援をしているよりも
もっと必要な人に支援が回ります。
支援を終了する時に、
困っていたらすぐ支援を開始することを約束し、
SOSが出やすくなるよう配慮していくことです。
それだけで、彼らの安心感も変わります。
安心感があれば、
一人でできている期間も長く続きます。
そして、不安が出た時、
困った時に支援を再開するのは、
間髪入れず。
そして、何でできなくなったの?など、
責め立てず、
よく今まで一人でやってきたねと、
確認をして、
また1からやり直すことです。
不安を最小限に抑えつつ、
支援を最適ラインを保ちつつ、
自立を促していきましょう。