知的障害者施設の集団と個人



施設は集団の場面です。
この集団性の中で、
落ち着けず、
不安定になる人は多くいます。

職員たちは、
この不安定になることを
「問題行動」というレッテルで呼び、
その利用者が悪いことをしているかのように、
みてしまうことも多々あります。

集団を統制しなければならないと思い、
集団から外れるような行動をする人を
注意をし、
集団と同じように行動することを求め、
集団と同じよう行動するための
「支援」が入る。

この方式が、
本当に、個々を大切にする
施設なのでしょうか?

私はそうは思えないのです。

逆に、それぞれの人が、
集団として同じ動きをしているほうが、
不自然ではないでしょうか?

何のために集団に合わせなければ
ならないのでしょうか?

施設という枠や建物は使いつつも、
その人それぞれの人生に
どの部分を使うかは、個別。

集団に属するのだから、
集団に合わなければならないという考えは、
個人にとっては、逆にストレス。

たまたま知的障害があり、
ご自身が利用できる場所で、
そこを利用しただけですから、
その利用をしている人たちを、
同じように、動いていただこうというのは、
職員の管理のしやすさからです。

たまたま、そこを利用しただけであり、
本来、その利用の仕方は自由がきくはず。

でも、支援者と障害がある人の
需要と供給の問題もあるので、
同じように利用をしていただかないと、
困るのでしょう。

そうしないと、
けがをしたら困るとか、
同じようにしていないことで、
あの人と同じようにしたいといわれたら困るとか、
守りの姿勢に入っていくわけです。

ご家族からも、
あの人だけ特別にしないでくださいとか、
言われると、
職員もそれぞれが違うことをしてはいけないと
思ってしまうかもしれません。

だから、ルールが目立ってしまう。
本末転倒は解釈により、
職員も親も知的障害があるご本人の個別の人生を
主にできずにいるのかもしれません。

集団と同じようにさせることで、
「嫌だな」が発生し、
安定しない動きになりますから、
集団が不安定になります。

逆に、
個を大切にしていくと、
それぞれが落ち着きますので、
集団も落ち着く方向に行きます。

ひとりの利用者を
どちら方向から見て、支援するかです。

集団性の中で支援するか、
個人に支援をしていく場が、
施設という集団の場なのか。

あなたの施設はどちらでしょう?

たとえば、
給食は絶対に同じ時間から
始めないといけませんか?

帰る時間は、みんなより、
5分前では、絶対にいけませんか?

仕事をしたくない気分の時は、
工賃はいらないからといっても、
絶対にのんびりしていてはいけませんか?

管理上、集団と同じ時間帯で
同じことをしてもらわないと、
困るという論理は、
いたるところに見えます。

どうも落ち着きがない人が多い施設は、
個人を集団に合わせていませんか?

だれでも、やりたいことや
やりたくないことはあります。
それはその日によっても違います。

集団に合わせることで
何がその人の自立になるのかを
違う視点をもって検証するべきです。
自分たちの間違いに気づくはずです。

人生は同じではありません。

その人は、たまたまあなたの施設を
利用していますが、
その機能を利用しに行っているだけで、
集団に合わせることを求めて
行っているのではありません。

どちらの視点から、
ひとりひとりを見ていくのか?

そして、集団とは何か?

考える時が来ていると思います。
個別支援とは、何を意味するのか?
考えましょう!

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