差別する人の存在を認めることから始めよう



障害がある方の近くにいる人は、
障害者に対して、
差別があることに嫌悪感を抱き、
差別を減らしたいと思っていると思います。

私が今まで、
様々な場面で、
差別は存在し、
学生のころから、
そういう社会と
対峙していたときもありますが、
今は、
差別がある社会の中で、
差別を減らすために、
どうやって理解者を
増やしていくかという視点を持っています。

実は、私自身にも差別心はあり、
それに気づかないこともあり、
気づいた時には、
改善をすることもあります。

差別心がない人は、いるのかな?
とさえ思ってしまうのです。

人と人の差を
何らかの機会に
見てしまうのが人間。

あの人みたいになりたいな、
あんなふうにはなりたくないな、
と思ってしまうのが人間。

これは、教育や文化のせいかもしれませんが、
こういう世界で私たちは生きているのです。

障害があるご本人でさえ、
別な障害者を差別することもあったり、
支援しながら、
○○の障害者は嫌いと
はっきり言う支援者もいます。

子供が生まれる時に、
絶対に障害児じゃなきゃ
嫌だという人もいないでしょう?
(まあ、こうなったらこうなったで逆差別)

どこに差別がないのでしょう?

差別のこころがあることを
隠している人もいると思いますが、
差別のこころは誰にでもあるのです。

ですから、
私たちが、
いつも障害者の側につくだけでは、
この「差別の量」は
少なくならないでしょう。

障害者でも、
だれでも良いのですが、
その人を差別するのは、
その人のことを
知らないからだと思うのです。

言葉は悪いかもしれませんが、
「食わず嫌い」に似ています。

会ったことがない。
接したことがない。
どんなところに支援が必要なのかわからない。
何を手伝えばよいのかがわからない。

そういう、ないないづくしの中で、
いない方がいいのではないか?とか、
かわいそうとか、
関わりたくない、といった
こころが現れるのであれば、
そういう方を否定するのではなく、
大丈夫なんだよ!と、
相手の人に
自分が伝え手と
なっていくことだと思うのです。

差別解消法など、
法律ができたから、
差別がなくなるのではありません。

これは、虐待防止法ができた時に、
私たち支援者から
虐待がなくなっていないのと
同レベルで考えてください。

法律よりも確かな効力を発するのは、
私たちが、
相手の考え方を受け入れてから、
徐々に障害がある方の話をし、
緩やかに
今まであった、
無知の部分から起きた差別のこころを
減らしていただくことでは
ないでしょうか?

あくまでも緩やかに
気づいていただくことだと思います。

知らなかったことを
拒否するのは誰にでもあります。
だって、
知らないからです。

その知らなくて、
間違ったことをしてしまった人を
批判しているのは、
私たち側のような気がするのです。

批判ではなく、
相手を知り、
相手二も寄り添うことだと思うのです。

差別があるというのは、
目をそむけてはいけないし、
理想だけ語っていてもなくならないと思いませんか?

だから、どうするか?です。
ひとつでも二つでも、
そう思っている人に変化が起きるように、
工夫をしましょう。

差別があるのが当たり前というところから、
目をそむけず、
あなたにできる差別を減らすためのアクションを
してみませんか?

何ができますか?あなたは。
私も含め、宿題なのです。
対峙ではない形で、
社会に風を吹き込みませんか?

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