夏休みの宿題等の感想文で、
内容がよく書けていても、
漢字の間違いが指摘され、
減点される。
そんな経験がおありの方も
いらっしゃるのではないでしょうか?
日本人の文化なのか、
どうも、
マイナス方向に
加点することが得意なようで、
間違いや
自分と違うことに、
逐一反応するという状態ですよね?
先生に、
そういう反応をされるものだから、
あなた自身も周りの子たちも
いい子でいることや
先生の言うとおりにすることが
良しとされてしまうのでは
ないでしょうか。
例えば、今考えれば、
おかしなことですけれど、
図工の時間に空を描けば
青空の絵が良くて、
そこにある太陽は赤くて、
そんな見本を見ながら、
子供たちは、
太陽は赤と決めつけている。
もし、子供が、
太陽をピンクで描いて
その時に先生が、
「太陽は赤よ」なんて
言ったものなら、
「太陽は赤なのか」と
思うことになりかねません。
正しいことや
標準的とされることや
先生や親が言うことが、
正しいと思える現実の中、
自分なら本当はこうしたいと思う!が、
どうも隠れてしまうようです。
そんな人たちが障害者支援をした結果、
さまざまな人生を
自由にして良いはずですし、
支援の方法もひとつではないのに、
みんな同じように
しなければならないと
思ってしまうことはありませんか?
十人十色という言葉があるのは、
過去のことではなく、
今も存在していますし、
先生の考えや
多数決の考え通りじゃなくても、
何とかなることも多くあるのです。
現場の職員は、
組織の中で、
常識とか普通とかを
押し付けられるという
状態になり、
さらに、
常識とか
普通とか、
そういう縛られたもので、
見ていく私たちが
もっと彼らの人生を
きつくしてしまうという
状態になっていませんか?
それこそ、
重箱の隅をつつくがごとく。
ところが、自由は、
新しい発想を生み出します。
例えば、漢字の間違った
感想文であれば、
主旨が感想なので、
本来は、漢字そのものは、
目をつぶったってよい訳ですし、
違っていたよで済むことです。
様々な部分で、
どうしても誰かに見られていて
指摘されることが
多ければ多いほど、
委縮をし、自由な発想には
なりえない訳です。
今、障害者支援現場で
大事なのは、
小さなことではありません。
彼らの人生が
自由であることに基づき、
ニーズを引きだし、
それに対して、
さまざまな支援を考える。
うまく行かないことも
あるでしょうけど、
その時また次の発想できる人に
なってほしいのです。
うまく行かないほうばかりを考え、
彼らを制限の中に追い詰める人には
なってほしくないのです。
そして、小さなところに
目を向けすぎる人にも
なってほしくないのです。
あなたはその人を想い、
たくさんのアイデアを出してください。
この支援の主題(主旨)は何なのか?
そこを考えましょう。
まあいいかと大目に見ながら、
支援をしていいのです。
部下がいるなら、部下の小さなことを
気にしすぎないことです。
あなたは、利用者の小さなことを
気にし過ぎないように、
大きな視点を持ちましょう。
小さいことばかり気にする自分と
おさらばです。