2016年は、
Facebookを通して、
毎朝、様々な質問を続けています。
質問には、ちょっとした言葉を添えています。
ついでに、下手なイラストをつけているのです(笑)
その中で、
皆さんにも学びと変化があるようですが、
そんな皆さんと
コメントのやり取りをさせていただき、
自分自身も言葉にすることで改めて学び、
まとまることが多くあります。
https://www.facebook.com/team2003
さて、2016年5月18日は、こんな言葉でした。
【そのシーン。誰を中心にしていますか?】
いつも自分が中心。
それは自分の人生だからいいのだけど、
人同士のお付き合いだから、
自分ばかりが中心にはいないんだよ。
シーンごとで、
誰かが主人公であることを
喜べる自分でありたいね。
それは、がまんするということではないんだ。
そのシーンには、
その人が主人公であるべきだから。
自分を大切にしてほしい。
そして、人も大切にする。
これは障害がある人も
支援者同士も、
関係者も。
でも、この、
「自分を大切にする」と
「人を大切にする」の
両方をどうやってやれるのかが、
釈然としていない方も
いらっしゃると思います。
人を大切にしていると、
自分のことが
大切にされていないような感覚を
お持ちになるからだと思うのです。
そう思うときは、
自分ががまんをしている状態
だからだと思うのです。
つまり、人を大切にしていることで、
自分がやりたいようなことができないとか、
人が言っているようにすることで、
自分が、考えていることとは違って、
イライラとするとか。
そういうがまんですね。
この、がまんをしていると、
人間関係に悩んだ状態に
なってしまうことが多いようです。
自分を大切にしながらも、
人も大切にするということは
どういうことなのでしょうか?
自分の人生を大切にするのは、
先ほどから言っている通り、
当然なのです。
そのうえで、人の人生と
自分の人生を分けてみて、
相手の人生も大切にするということなのです。
それは、シーンを分けることです。
今の主人公が誰なのかを
考えることです。
では、具体的にはどういうことか?
自分への見返りは求めないことです。
この、自分の人生と、
他者の人生の中で、
相手に見返りを求めていると、
人間関係がつくられてしまいます。
人の人生を大切にすると言いつつ、
自分への見返りが得られないと
イライラしていませんか?
はずかしい。
感謝されない。
私ばかりがやらされている。
自分の考えを採用してもらえない。
私と違うことをする。
相手の人生を大切にしたのだから、
私の人生も大切にしてよ!
を、求めていませんか?
そこを切り離してみるのです。
相手の人生を大切にしたときに、
自分の見返りを期待するから、
イライラしてしまっているのです。
自分の人生を大切にする。
そして、人の人生も大切にする。
その時に、見返りに期待して、
人の人生を大切にしているなら、
あなたは人間関係の不具合から
抜け出ることができないかもしれません。
自分の人生と、
人の人生を切り離すことです。
そして、それぞれを大切にする。
その大切にしたことに対して
自分への見返りは求めない。
そのためにも、
そのシーンでの主人公は
誰なのかを
考えてみてはいかがでしょうか?
たとえば、
自分が相手の命を救ったときに、
「ありがとう」(見返り)を期待しないことです。
期待するから、
「何であの人は感謝もしてくれないの?」
と思ってしまう。
相手の命を救ったのは、
相手を大切にしたから。
それだけです。
そのシーンの主人公は、
その人です。
あなたではありません。
その人の人生に対して、
喜べる自分でいることです。
だから見返りは求めません。
ですが、
そんなことをできた自分は、
自分が認めてあげる。
それで自分も大切にできます。
主人公にもなれます。
見返りを捨ててみませんか?
人間関係が楽になりますよ。
三浦綾子先生の塩狩峠の精神で勤めています。?生きています。