相談できない



障害者虐待や
障害がある子の親御さんによる子殺しの事件が起きると、
その報道の中で、
「相談できなかった」
という言葉がよく出てきます。

相談できなかった。

様々な相談を受けている私としては、
「相談できなかった」というフレーズが、
ものすごく引っかかるわけです。

相談できなかったということは、
相談しようと思っていたのでしょうか?

相談しようと思っていたのに、
できなかったのであれば、
何か理由がありますよね?

相談できなかったという言葉の裏に、
相談するレベルではないという
判断があったのではないでしょうか?
そして、
もっと自分だけで頑張れると
思われたのかもしれません。

人に迷惑をかけたくない気持ちも
強かったのかもしれませんね?

きっと、なにかが、
相談しない(相談できない)状態に
させたのでしょう。

それはあなたのせいではないと断言します。

がんばっている人ほど、
もっと頑張ろうとしています。

もっと頑張って、それでも、今抱えている問題を
解決できなければ、
それまで張りつめていた糸が切れてしまい、
大きな事件につながっているような気がしています。

相談しようとしたときに、
さまざまな窓口がやっていなかったり、
電話口の対応が悪かったりもするかもしれません。

「私たち支援者は、出会う責任がある」

そうおっしゃった方がいます。
支援者にとっては、
非常に重い言葉と受け止めています。

出会った責任。
それだけでは足りないのです。

申請主義の福祉の中で、
あなたが相談できないのは何故でしょうか?
あなたが相談してくださるために、
私たちは、何をすればよいのでしょうか?

相談できなかった。
そういう気持ちになった時、
何があれば、「相談しよう」という一歩に
変えてくれるのでしょうか?

相談するのに、
勇気が必要な相談機関なんて、
相談しようとする側にとっては、
嫌だろうなと思います。

私だったら嫌だから。

知らない人に、
相談することほど、
怖いものはありませんものね。
わかります。
緊張しちゃいますよね。

私は、支援者の皆さんの
お困りをなくしたいのです。

あなたに、大きな事件を
起こしてほしくないのです。
だから、「何を手伝えばいいですか?」と
いい続けています。

こういう考え方はいかがでしょう?

相談機関に対し、
あなたにやってほしいことや
するべきことを教えるという考え方です。
それも、相談というのです。

相談できなかったという感覚をお持ちならば、
そんなお話の仕方も良いのではないでしょうか?

あなたは、今、もしかしたら、
困っている感覚はないのかもしれません。

それは、困っているのではなく、
自分がもっとがんばるべきだと
思っているからなのではないでしょうか?

だから、相談といわれても
相談はないと思われているのかもしれません。

ことが大きくなってしまったあとに、
初めて相談という言葉が
思いついたのかもしれません。

そうですね、あなたの日常を
話していただければいいかな?

愚痴を話す事かもしれません。

そのことで、あなたのため息が
なくなるかもしれません。
ひとりで考え込むことがなくなるかもしれません。

迷惑でなければ、
一緒に考えてもらえる仲間を増やしませんか?

いかがでしょう?
肩の荷を下ろすためにも、
一歩踏み出しませんか?

自分に笑顔が少なくなってきたり、
つかれたなあとか、
ちょっとここから離れたいよなあとか、
自分、頑張ってるよなぁって思ったら、
その時が相談の時期だと思ってください。

そして、誰でもよいので、
あなたの「今」を話してみましょうよ。