うそをつかれた時



知的障害がある人は、
純粋だと思われている人も
多くいらっしゃると思いますが、
果たしてそうなのか?というと、
毎日彼らと一緒にいる私としては、
そうは思いません。

知的障害がある、
おっちゃんであり、
おばちゃんであり、
純粋って、
何を指しているのかなあと思うほどです。

もちろん、知的障害がある人のことを
あまりご存じない人から見れば、
2~3歳の子どもと同じレベルの知能指数と
想像するのかもしれませんから、
「子ども=純粋」という
イメージがあるのかもしれません。

彼らの知的レベルは知的レベルとして、
人生という経験をしています。

良い経験もあれば、
悪い経験もあります。

生き抜くためには、
虐待から逃れてきた人もいます。

学校や会社勤めをしていて
いじめられ、
逃げるようにして、
辞めてから引きこもったり、
施設に来た人もいます。

ただただ、にこにことしていて、
何の悩みもない訳ではなく、
聞いてみれば、
つらい経験をしている人も多くいます。

知的レベルとは別に
人生という経験をする中で、
「こういう時はどうやって立ち回ろうか?」を
実践し、身につけている人も
多く存在します。

そうせざるを得なかった。
という人たちかもしれませんし、
こうやればうまくいくを
体感している人かもしれません。

ですから、
彼らは純粋だとだけ思い込まないことです。

ギャンブルもします。
お酒やたばこもします。

そして、うそもつきます。

知的障害だからしないということでもないのです。

そういうことも知らない人から見れば、
純粋なのでしょう。

先ほども書きましたように、
彼らのすること(行動)は、
理由があってのことです。

悪いことをしているというイメージよりも
正しいことの一つとしてしている可能性もあります。

何をするにしても、
行動に理由がない人はいません。
それがどんな行動になったとしても、
私たち支援者は、
その行動の意味を知る努力を知り、
行動の表面だけを見ていてはなりません。

うそをつくにはうそをつく理由があるわけで、
純粋じゃない行動だからと
怒ってみても仕方のないことですし、
純粋じゃないから怒るというのは、
その人の為ではなく、
だまされたと思い込んだ自分の為なのでしょう。

もちろん、
うそはよくないにしても、
彼らの様々な人生の中で、
こうしたほうが良いと思っているのは、
これまでの経験がそうさせるわけです。

うそがばれた時は、
「もうしません。ごめんなさい」などと
言ってくるかもしれませんが、
謝ることが解決することではないのです。

うそをついたことで、
支援者自身が被害を受けるのではなく、
ご本人が被害を受けることもあるので、
謝ることだけで解決でもないのです。

彼らも、
言葉にできない経験を
たくさんしていることでしょうし、
ましてや、支援者の人を
信用していない人もいますから、
うそをつかれたくらいで、
目くじらを立てないで、
もっと大きな視野で、
その事実を見て、
その背景を見ることを試み、
表面に出てこない理由を感じ取り、
「うそ」という表現ではなく、
本心を表出させることができるような
関係性になる努力を
私たち支援者がすることなのでしょう。

ホコ先を間違えず、
彼らが悪者だとレッテルを張るようなことをせず、
うそがばれてよかったと思っていただけるような、
関わりを目指してみたいものです。

彼らは好き好んで
うそをつくわけでもないと思うのです。

そうする理由があるわけですから、
そこに支援者として、
するべきことが詰まっているはずです。

つまり、うそをつくのもSOSの現れです。

そうしてきた彼らを
丸ごと受け入れることです。
自分の常識にあてはめず、
全てをです。

何に困っているのか?
そんな視点も持ちながら、
うそをつかなくて済むような人生のスタートに
していただくための支援をしていきましょう。