見返りを求める自分からの脱却



知的障害がある人の支援を
事業所の
チームでしていくときに、
複数の人で、
していくことになり、
そのチームの人間関係で悩む人は
多くいますね。

そのなかで、
自分がしていることと、
他者がしていることを、
心のどこかで比べて、
自分のできなさを悩む人と、
他者が自分と同程度のことを
してくれないということで
イライラする人がいます。

自分の出来なさを悩む人については、
比べどころが間違っているからで、
自分よりできる人と
比べることをするので、
悩むのです。

本来悩むべきでないところで
悩んでいるようですから、
自分の中の成長だけを
見ることにしていきましょう。

さて、
他者と自分を比べ、
他者が自分と同程度のことを
してくれないと思う人のことについて、
今日はお話をしていこうと思います。

どうも自分の働く量や質と、
相手の働く量や質の違いに、
イライラします。

なぜかといえば、
お給料をもらっているからかもしれません。

特に自分より高い給料をもらっている他者を
自分と比べ、
あの人はあんなにもらっているのに
自分よりできないと思うわけです。
だから、自分はもっと仕事をしなくても
良いのではないかと思うようです。

また、自分がやっていることに対して、
お礼を言われないとか、
感謝されないことにも
良い気持ちがしないようです。

さらには、こちらが
手伝っているにもかかわらず、
相手は、
自分の忙しい部分に
何も手伝ってくれないと思えば、
イライラ度合いも増すようです。

さらに、もっと違う場面を
想定してみましょう。

メールをしたのに、すぐに返事が来ない。
おごってあげたのに、
次に食事に行ったときにおごってくれない。
いいね!をしたのに、
いいね!で返してくれない。

このような、
様々な場面で、
他者と自分との関係を
何かで計っているとき、
「見返り」を求めていることになります。

そのことには、
あなた自身が気づいていないことも多く、
そのつもりもなかったという
イメージかもしれませんが、
よく考えてみると、
なんでそんなに、
自分自身がイライラしたり、
おかしいと思ったりするのでしょうか?

相手が悪いと思いがちなこのことを、
もう少し、
自分のほうを見て、
考えてみるとわかりやすいと思います。

あなたが、
あなたに対して、
何も良いことがないように見えて、
イライラするのでしょう。

そして、相手が、
何も変化してくれないことへのイライラ。

自分だけが、がんばってるのにと
思うからでしょうね。

このイライラの解決として、
相手が変わることを
望んでいても、
実は解消されません。

自分がしたら、
相手も、同等のことを
してくれる事が常識と
思っているから、
そう思ってしまうのでしょう。

「○○してくれない」と、
他者に対して思う時点で、
見返りを求めているのです。
「くれない」ですからね。
何かをもらいたいのです。

自分がしたことに見返りがないと、
やる気が起らないのでしょうか?

そして、これからも、
見返りを得たい自分でいるのでしょうか?

見返りを求めていると、
イライラは解消されませんね。
では、どう解釈したらよいでしょうか?

簡単に言えば、
見返りを求めないことです。

そして、自分がやるで、
相手が何かをくれることを
欲するのではなく、
利用者の皆さんに
ただただ、自分のできることをするために、
他者と仕事をするということです。

チームの人から
見返りを求めようとするから、
イライラする。

つまり、
見返りを求めなければ、
相手の行動に対し、
イライラしません。

自分は自分のできることをし、
他者も自分のできることを
しているだけなのです。

その時に、他者は、
あなたのことを考えることは
していないかもしれません。

それでも、あなたは出し惜しみせず、
自分のできることをすることです。

見返りを求めずとも、
できることをし続けていることで、
全く関係のないところから、
感謝されたり、
ご縁ができてきたりしていくことでしょう。

見返りを求めつつ支援をしていると
何も手に入れられないのですから、
不思議なものです。

私になにかを「くれる」のではないか
という期待を横において、
他者がしないことやできないことを、
していきましょう。

相手が見返りなど
できないだろうなと
思える人であれば、
自分も見返りは
求めないですし、
見返りがなくても
イライラしないのですから不思議なものなのです。

なぜ仕事をしているのか、
見返りを求めている自分はこのままで良いのか、
そんなことを考えつつ、
知的障害がある人が
喜んでいただくことのために、
出し惜しみせず、
できることをしていきましょう!