2017年1月ニュースレター:火事から学んだこと



自分は、頼まれたら断れないタイプ。
そして、人のことが気になって、
困っているんじゃないか、
助けなきゃと思うタイプ。

以前住んでいた団地では
3回の放火があり、
現場に駆け付け、
今のマンションでは、火事が起きた際に、
管理人たちに指揮をしたこともある。

火事は、自分の中に大きな出来事で、
たぶん、2歳くらいの頃に、
「助けられた」という感覚が
自分の人生にも大きくあるからだろう。

人に、おせっかいにしているのは
もしかしたらそこが原点なのかもしれないと、
今、思う。

自分にとっては、本当に大きな出来事で、
火事の怖さと、
大人たちが助けてくれたことへの感謝と、
家族の強さとやさしさと、
消防士さんたちの使命感と温かさと、
そんなことを学んだのだ。

2歳くらいと書いたのは、
たぶんそのころで、
そのわりには、
記憶が鮮明に残っている。

夜中、
自分の家の前の
細い道を挟んだクリーニング屋が燃えたのだ。

全焼し、お隣の家も焼け、
うちも少し被害があった。

2階がアパートだったので、
そこに住んでいたお姉さんが、
私たちを起こしてくれ、
玄関にも近寄れず、家の後ろから、
大人が抱きかかえてくれ、
近所の家に避難した。

その時の玄関の様子。
ガラスの格子戸だったので、中から見たら、
外が真っ赤に燃えていた。

熱さで、そこにある、
普段はいているサンダルが取れず、
外から逃げ出したのだけれど、
母たちは、位牌など大事なものを
持ち出そうと努力してた。

このことが、
鮮明すぎて、
火事となると、
自分は消しに行く。

以前住んでいた団地で放火が相次いだ時も、
一番に消火器を持って行った。
最初の放火の際には、
私しか消火器をもっていかなかった。

次にあった時は、
みんなが消火器を持ってきてくれた。

3回目の放火では、
火事現場が爆発した。
生きていたから、笑って話すが、
前髪が熱でなくなった。

助ける。

自分ができることをする。

誰かがやってくれるのを待つのではなく、
自分でできることはする。

そんなことも、
自分の中では、
これらの火事も含めて学んだこと。

娘たちが言う。
「何かあっても母は頼れない。
たいへんと思った人のほうに行ってしまう」

確かにそうだと思う。

自分の目の前で困っている人に
ぞっこんになってしまう性格は、
否めない。
自分が役にたてるのではないかと思ってしまう。

少し、
そういう性格も直したいとは思うのだけど、
あの時助けられた感覚は、
自分を作るうえで、
大きな材料となっていることに、
間違いはない。

あの日、
夜中じゅう消防活動が続き、
朝方、消防士さんたちにおにぎりを配った。
消防士さんたちはみんな笑顔だったと記憶している。

びしょびしょの道路に座り込んで、
おにぎりをほおばってくれた。

私の家は、ほんの少し焼けただけだった。

感謝。

そして、火事があった後も、
うちの家族は、
だれも、
クリーニング屋さんを
責めていなかった。

助かったからかもしれないが、
うちもそれなりの被害は受けている。

でも、誰も責めない家族のやさしさもまた、
自分の中には残っている。

自分の過去は、
自分を形成する源であり、
どんなことも
役立つと思っている。

見方も
いろいろな見方があることで、
自分の感情を整理することだと思う。

火事という事実は変わらない。

それで被害を受けたのは事実だけれど、
私はそれよりも、
人の温かさを感じることを
手に入れたから、
何も批判などする気持ちもない。

家族の行動も、
それからの私の人生に
大いに役立つことになった。

自分形成にもなった、
火事という出来事。