知的障害がある人の中で、
最重度といわれる人たちには、
車いすの人や全介助の人、
意思疎通が難しい人もいます。
そんな彼らの支援部分は
多くをしめ、
食事、
トイレ
移動
衣服の着脱
薬の管理など、
様々な部分で、
支援を要するわけです。
さて、そんな人たちの支援をしていくとき、
私たち支援者は、
一つ一つ、ご本人と確認しつつ、
動くことが求められているわけですが、
その一言をだんだんに
言わなくなってはいないでしょうか?
「右に行きます」
「左に行きます」
「足をあげます」
「身体を倒します」
そういう言葉を、
絶対に言うべきなのです。
理屈では分かっていることだと思いますが、
でも、支援者が主導になってしまい、
言うことをしなくなっていくのです。
なぜかというと、言っても
わからない人だからと
思うからでしょう。
反応がない場合も多いので、
言っても無駄と思ってしまうのでしょうね。
でも、そう思った時点で、
支援の本質の半分を捨ているのではないでしょうか?
支援は技術だけでやるものではないのです。
その人が行動する時の主体
ということを絶対に入れ込むべきです。
右に行くにも、
その人の意思と一緒に右に行くべきです。
身体を倒すにしても、
倒されるんだなと思う、
その人の安心も一緒にあるべきです。
事あるごとに、
その人が不安になるだけではなく、
また、支援者に任せておけばいいやと
思わせてしまっているようでは、
その人がその人の人生の主体ではなくなるのです。
だから、言葉をかける。
声掛けではなく、
支援者の気持ちが入った言葉をかける。
その一つ一つに、
支援者としての、
その人を主体である言葉をかけるのです。
言葉をかけ、
彼らの意思も一緒に行動していただくのです。
食事も
着替えも
移動も
彼らが、私たちに任せっぱなしになるのではなく、
主体は自分であることを感じ、
できればご理解いただきたいのです。
最重度といわれる彼らの
自立ってなんだろう?
という気持ちは支援者にもあると思います。
であるならば、
こういう一つ一つをきめ細やかに
行うべきだと思いませんか?
意思がなかなか出てこない場合、
「協力してください」と言っている
支援者がいますが、
協力と言っている時点で、
主体ではないですね。
彼らが主体。
どんなに障害がある人でも、
出来る限り、
彼らの意思を
引き出す支援をしていきましょう。
そして、意思と一緒に行動ができるように
支援をしていきましょう。