理解していると思われることを聞いてくるときの支援



知的障害がある彼らは、
わからないと思うと、
質問をしてくることもありますし、
わかっていても、
確認のために、
聞いてくることもあります。

「この仕事をやればいいのですか?」
「○○○さんのおかずいらないって。食べていい?」

中には支援者の顔色をうかがい、
反応を確かめている場合もありますけどね。

自分で進めることも自立。
自分で「これでよい」と、判断するのも自立。

支援者を頼ってばかりではなく、
自分一人になった時のことも想定して、
自分で、「自分が間違っていない」を
確信できるのであれば、
そういう経験は
たくさんしてほしいと思っています。

そこで、支援者がしてほしい質問があります。

「どうでしたっけ?」
「どうやるんでしたっけ?」
こんなニュアンスの質問です。

「なんでわからないの!」ではありません。

たとえば、
「この仕事をやればいいのですか?」
であれば、
「どうでしたっけ?」
「どんな指示でしたか?」など。

「○○さんのおかずいらないって。食べていい?」
であれば、
「どうでしたっけ?」
「そういう時は、どうすることになっていましたか?」など。

その人に質問を返します。
すると、その人が、自分の記憶を考え始めてくれます。

「この仕事をやるように言われた」
「自分の分だけを食べるように言われていた」
など、自分の言葉で話すことができれば、
「そうでしたよね」
ということです。

この手の質問は、何度となくしてきます。
支援者側が、答を出していれば、
いつまでも聞いてきます。

でも、支援者が答えるのを我慢し、
自分で、回答することになると、
支援者に確認しても知っていることは
自分でやっていいのだという
自分の判断が確定するようです。

この手の方は、
忘れているわけではないのが特徴です。
同じ質問でも、
忘れている人への支援理由とは違います。

もし、支援者から見て、
知っていることだろうと思って、
質問返しをして、
相手の人が忘れていたり、
わからなければ、
答を伝えればよいだけのことです。

彼らがやってみて、間違った時も、
再度支援すると言うことです。

先ほども書きましたが、
「何で忘れているの?」と
問いただすことでもありません。

自分の支援が、彼らの自立に
つながるために、
何でも答えればよいわけでもありません。

支援者自身が、自分を我慢させ、
ご本人が、自分が持っている答えを出せるように、
支援しましょう。

もちろん、場面場面で、
その都度聞く方は、
そのひとつひとつのことに対しての
支援になりますから
その数が減ると言うことです。

そのうち聞いてこなくなる時が来ます。
その際が、それぞれの場面での、
支援の終了となります。