知的障害ってなんだろう?



このブログをお読みのあなたが、
知的障害がある人を
直接的に知らなくても、
きっと、街の中やご近所、
またはご自身が行っていた学校などで、
1度くらいは会ったことがあると思います。

間違えている方もおいでだと思いますが、
彼ら自身が社会の形成に
「害」があるのではありません。

社会は様々な人で形成されていますが、
彼らもまた社会を形成をしている人たちです。

法律を通し、障害者と書いていますが、
その人自身が、生きていく時に、
障害を感じ、
生活しにくいことが、
ある人たちのことです。

他の人にはできても、
彼らには、できないことが多くあります。
できないことがあること自体は、
実は障害ではないのです。

つまり、障害は、彼ら自身ではなく、
社会の中にあったり、
人の心の中にあったりします。

知的障害がある人は、
ほとんどの人が、
生まれた時から
「考えること」「予測すること」などが
難しいことがありますので、
健常者がわかっていることも
理解が難しかったり、
よりていねいな説明が必要な人もいます。

自分が、まだ小さくて、
何も知らない状態の時は、
自分の状態を
何も気にしてないかもしれません。

それは、私たちもそうです。
生れた時には、自分はこうだとしか
思わないと思います。

例えば、ちょっと別な事例ですが、
生まれた時に
お父さんがいない家族であれば、
そういう家族で何とも思わなくても、
社会に出てて、
他の友達にお父さんがいることや
お父さんがいないことで
何かが起きたりすると、
お父さんという人がうちには
いないということに
気づき、何かを感じるというようなことが
ありますよね。

それでも、不具合がなければ、
お父さんがいないことは
気にもならないと思いますし、
不都合があれば、
生きづらさとなるのでしょう。

自分と人との違いは、
人と関わることで気づき、
人との関わりのなかで、
不具合や生きづらさも生まれます。
それが「障害」なのです。

ですから、例えば、
人と人は違うものだと思って、
様々な説明などを
知的障害があるその子に合わせている
ご家族に生まれれば、
その子は、「障害」が気にならないかも
しれないのです。

だれかが手伝ってくれるなどで
困ったことがなければ、
自分が「障害者」と
認識していない人もたくさんいます。

社会の皆さんが、
彼らを
知的に障害がある人だ
自閉症という障害がある人だと
認識しているにも関わらず、
ご本人たちは、
そう思っている人と、
そう思っていない人がいるのです。

かわいそうといわれることはありますが、
彼らがそういう体で生まれたことは
かわいそうでもないし、
不幸でもありません。

でも、社会の人たちが、
彼らに対して、
自分と違う人間と認識し、
時に攻撃したり、
時に嫌がったり、
時に役立たずといいます。

そういうふうに考える人が、
周りに多ければ多いほど、
彼らは、不幸になったりも
してしまうのです。

それこそが、
彼らを「障害者」にしていると、
私は考えています。

そんなことしていないと
思われるかもしれませんが、
それは、誰のこころにも潜んでいて、
自分でも気づいていない、
こころですし、
それが、彼らにとっての「障害」になるのです。

彼らは、
何の迷惑になっているのでしょうか?

生まれ持った体で生きていて、
考えることや
予測することが難しいとしても、
人は生まれたら人であり、
不要な人はいないのです。

自分の尺度で
人の良しあしを決めている人が多いですね。

役立つとか
役立たないとか
そういう種類で人を分けようとするのは、
意味のないことです。

役立たない人間ってなんでしょうか?
そんな人はいないのです。

生れた意味を探す人もいますが、
必要ですか?

人間は、世の中に生まれただけで
社会の形成を担うのです。
知的障害があっても
なくてもです。

自分ができることを
していくことで
社会は成り立ちます。
障害がある人も、
何もできない訳でもなく、
できることをしています。

生きているだけでも、
できているのです。
その基本が大事なのです。

他人の人生に、
生きる意味を問うのは、
やめてください。

あなたも他人から
生きる意味を問われたくないはずです。

生きることで意味あること。
それは、人生の最後の最後まで
社会形成上も意味あることです。

障害がある人は、どんな人でも、
だれかの支援を受けることで、
「障害」が少なくなりますし、
彼らは能力は、今以上に発揮できます。

みんな持ちつ持たれつです。

お互い様。

できないことがある人は
知的障害がある人だけではありません。

例えば、私たちでも、
計算ができない時は、
電卓という手段を使いますよね?

計算ができないからと、
障害が発生する前に、
電卓が助けてくれます。

これが支援の一つです。

彼らはできないことが、
人より多いかもしれませんが、
彼らと関わる前に、
ちょっと気に留めていただきたいのです。

多くの気づきを得る事もできますし、
あなたが彼らの障害を
減らすきっかけにもなれるのです。

ちょっと気づかって下さるだけで、
彼らは生きやすくなります。

生きやすくなれば、
彼らの「障害」は
なくなるかもしれません。

全ての人たちは、
できることをして、
社会形成に役立っています。
今生まれる命でさえもです。

彼らの人としての素晴らしさも、
感情論ではなく、
知る機会を持ってみませんか?

実は私が書くよりも、
一度会って接していただければ、
「知的障害ってなんだろう?」が
わかる入口に立てると思います。

ちょっと勇気がいるかもしれませんが、
ちょっと会ってみていただければ、
うれしく思います。