やさしさからも障害は作られる



「障害」は社会の中に存在します。

そういう観点で、
私は、知的障害や自閉症という
「障害」を捉えています。
もちろん他の障害もです。

この「障害」ですが、
社会を構成する私たちの不理解から
生まれてくることは、
みなさんもお分かりの所だと思います。

社会の構造、
時間の速さ、
情報の多さや複雑さなどから、
障害が作られるのです。

そんな社会に生きている私たちが、
自分とその人を比べて、
「なんで、そんなこともできないの?こまるなぁ」
と思った時点で、
障害は作られている可能性もあります。

もちろん、これには、個々の感情があります。
たとえ、その人が障害者であろうと、
他の人に対して、
「なんでそんなこともできないの?こまるなぁ」
と思った時点で「障害」は作られます。

ですから、
誰もが「障害」を作る張本人になりえるのです。

これが通常パターンの
「障害」の作り方です。

でも、
別な作り方があります。

それは、やさしさというプロセスでの作り方です。

こちらも簡単な作り方です。
知的障害や自閉症の場合、
このプロセスで、
支援者が彼らをできない人にしてしまうため、
社会の中で、障害者とされてしまうということがあるのです。

その人ができないものとして、
チャレンジする機会を与えないという方法です。

たとえば、支援者が、
させたらかわいそうとか、
まだまだ手がかかるとか、
かわいいからやってあげようとか、
そういう感情で、
本来成長の過程で
自分でできることや
やるべきことを、
変わりにやってしまうことが続いた場合、
彼らは、成長できることが成長できなかったり、
これは、誰かがやってくれるものだと
思い込んでしまい、
自分がやらないでもよい状況を
作ってしまうのです。

でも、社会は、
「なんで、そんなこともできないの?こまるなぁ」
の人が多いのです。

あなたのやさしさのせいで、
その人は社会の中で
障害を持ってしまう可能性があるのです。

つねに、支援は、
「自立」がキーワードになっています。

できることはする。
できないことは人に頼む。
できることであっても、
時間がかかりすぎる場合も頼んでOK。
できないことでも、困らなければ、
やらなくたってOK。

自立の形は人それぞれでも、
支援者側のやさしさが過剰すぎて、
「障害」を作っているとしたら、
本末転倒です。

私たちだけが、
彼らと接しているわけではありません。
彼らが社会の中で様々な人と接することを想定し、
この人の自立って何だろう?
この人への支援って、
どういう形でするのだろう?と、
支援に意味を持たせながら、
接していくべきだと思います。

社会の中で
様々な人に囲まれて生活する時を
イメージしつつ、支援をしていきましょう。