自分の障害を知っていただきましょう



知的障害者の人が
当施設を利用したいということになった時に、
面談で様々な質問をしますが、
その中に、
「自分でできること・得意なこと」
「自分でできないこと・支援してほしいこと」
の二つを聞くようにしています。
(そのほかにも聞きますが)

この、できることは「強み」ですが、
「できないこと」は、
障害の部分と思って伺っています。

ところが、
ご自身のできることもできないことも
ものすごく悩むことが多く、
特にご自身の何が障害なのか?を
よくわからない方が
多くいらっしゃるよう見受けられます。

例えば、車いすの人で、
立つことができなければ、
何が障害なのかは、
お分かりで、
支援を求めるのであれば、
「段差を上がる手伝をしてください」
「高いところにあるものを見たいので、
商品を取ってください」
など、人にSOSをする
具体的な所がわかると思うのです。

ですから、だれでも、
頼んだ人が支援者になれます。

知的障害の人は、
うまれつきの場合も多く、
物心ついた時から、
その状態での生活をしており、
また、考えること自体が
難しい部分もあり、
何かに困っていると、
ハッキリしていないことも
多く見受けられませんか?

その状況になれている。
つまり、できないことが
当たり前のために、
それを「障害」とも
思わない人もいると思います。

また、できないからといって
まわりが支援しすぎている場合、
全く困っていない方も
いらっしゃいます。

「あなたにとって、なにが障害ですか?」
と聞いたときに、
即答できない方が
いらっしゃるのです。

何度も繰り返し、
支援をすることで、
ようやく、
「自分は、○○が苦手だ」と
思うことがあるかもしれません。

ですから、私たち支援者が、
ご本人からの訴えがなくても、
支援を開始しているのが現状です。

これは、重度軽度にかかわらずです。

でも、自分の障害は、○○だと、
わかっていたら、
また別な展開ができるのです。

計算。
薬の管理。
お風呂の促し。
食事介助。
トイレ介助。

「○○を支援してください」

といえたり、

「自分でできますので、支援はいりません」
などといえたら、
さらに、自立は近づくでしょう。

その人にとっての「障害」は
どこにあるのでしょう?

自分で、「障害」がわかり、
困っていると、SOSして、
やってほしいと頼めて、
お礼も言えて、
生活する。

支援者が、支援という名で勝手に
関わるよりも
もっと、本質の支援になることでしょう。

もちろん、言えない人もいますから、
その場合は、支援者側が見つけることになります。

障害がある人が、
○○をしてほしいと依頼するのが、
基本だと考え、支援をした方が、
ご自身の「障害」を
理解していただく支援につながります。

そして、ご自身の「障害」がわかって
誰にでも頼めるのであれば、
福祉を知らない支援者も増えることでしょう。

それに、私たちが考えた
こうあるべきという支援ではなく、
自分の暮らしたいような生活を考え、
必要な所だけに
支援を求める
彼らになるかもしれません。

生活とは、できないことをすべて、
やる必要もないのです。
私たちだって、できないことは
たくさんあるけど
不要なことであれば、
できるようになっていませんよね?

だから、できないことに
全て支援を受ける必要もありません。

自分の必要な部分で
「できないこと・困っていること」に
支援を受ければいい。

自分の障害がわかったら、
もっと緩やかに
生活する人たちのような気がします。
今の支援は管理され過ぎています。
本当に必要な支援を求められた方が、
その人らしい生き方になることも
あるような気がします。

彼らの「障害」をあらためて、
考えてみませんか?

あなたの思い描いた人生を
彼らに送っていただくことが
いいとは限りません。

私たちは何をするべきなのか?
自問自答してみましょう。

彼らに、自分の障害が、
理解できるような支援が
ほしいと思います。

自分のできないことを理解して、
街の中で、
知らない人に支援を
頼める彼らになったら
すてきだろうなあ
という願いも込めて。