軽度知的障害がある人の言葉の数々。
いつも考えるのは、
主訴とニーズ。
そして、自立。
支援者は葛藤します。
言葉をたくさん持ち、
相手に気づかうこともできるレベルの方です。
自分でできます。
考えてみます。
今度こうしようと思っています。
本当はこうしたいと思っているのです。
これではだめだと思うのです。
何とかしなければ・・・
などなど、
今抱える問題の解決を、
様々な言い方で、
自分で解決すると宣言することがあります。
SOSをはっきり出していただければ、
もっと介入しやすくなるのですが、
何とか自分でやらなければという気持ちが
先に立つのでしょう。
支援者側から、介入できるよと話しても、
堂々巡りのような状態で、
結局介入ができず、
問題は悪化する場合もあります。
たとえば、何か契約をしてしまった場合、
それを、自分で電話をして、
解約しますと言います。
でも、何日たっても解約できません。
できないというか、
何かの理由で、電話をしないのです。
その間にも料金は膨れ上がります。
強制的に介入して、
こちらで解約をしてしまうこともあります。
本来、傍から見ると、
ご本人にできることであり、
やると言っているものでも、
それをやらないことで、
不利益が大きすぎるのです。
やると言ってできないことは多くあります。
例えばお掃除。
やれば簡単なのですが、
はじめることができない。
こういうときも、
自分で何とかしますと言いますが、
できすに、どんどんゴミがたまる一方です。
さらに、精神的に良くない状態になる場合もあり、
強制的に、
スケジュール化して、
やったかやらないかを報告していただく。
また、目の前のお金をどうしても使ってしまう場合、
今日はこの金額でやってみてくださいと話し、
その金額だけを渡すことで慣れていただく。
などなど、
ご本人ができますと言っていてできないことは、
こういった1歩踏み込んだ、
介入が必要な場合があります。
ある意味、その人の意思に反して
介入する必要があるのです。
問題が大きくなりすぎて、
結局困るのはご自身です。
そこが、主訴なのか、
ニーズなのか?
なのです。
「できる」と言っていることは主訴。
でも、できていないのであれば、
「自分でしたい」という
ニーズではないのです。
言葉の裏に隠された、ニーズを探りつつ、
最良の解決方法を提示して、
実際解決すると、
頼っていいのだという感じも体験することになり、
支援者にもっとSOSを出し、頼ってくれます。
とにかく隠し事は多くあります。
支援者に怒られないためでもあるのでしょう。
真実がわかった時に、
支援者はがっかりしてしまうかもしれません。
そんな、軽度知的障害者の持つ課題ですが、
地域生活を支えるためにも、
支援者の頭を回転させて、
想像力を巡らせて、
短期集中的に、
一歩踏み込んで、
一つ一つ、解決していきましょう!
彼らの生活の中の課題が、
一つ一つ解決するごとに、
彼らも、自分をきちんと見つめられるようになり、
簡単な問題なら、
ご自身だけで解決できるようになります。
それが自立につながるはずです。
だから、今、まさに、
きめ細やかな積極的支援が必要なのです。