要求のための支援


要求のお話をします。

たとえば、子供が、冷蔵庫を指して、
何かを欲しがった時に、
お母さんなら、
「おやつがほしいのかしら?」
「牛乳がほしいのかしら?」
「ジュースがほしいのかしら?」
と思い浮かべて、

「この子が欲しいのはこれだろうな」
と、わかるから、そのものを出します。
でも、こどもはそれが欲しくないとなれば、
泣いてみたり、違うそぶりもできます。

もちろん、同時に「これは、牛乳」などの言葉を教えたり、
「くださいは?」などと、
要求の仕方を教えることもするでしょうね。

それらは、子供が育つ過程で、
親としてする行為です。
そして、そのうち、子供は
自分で冷蔵庫が開けられるようになり、
親を介さなくても、自分で開けられれば、
自分で取り出します。

このような関わりが、「自立」につながっていきますね。

さて、知的障害がある人たちだと、
この要求の行動をする前に
支援者が、なんでもしてしまう事が
多くあります。
わかっているつもりになっていたり、
支援者の勝手な予測をして、やってしまうようですね。

そして、それが要求と違っていても、
知的障害の人は指摘しない可能性があるので、
間違ったままになりやすいのです。

ですから、自立に向かっているのかというと、
そうではないことも多く、
支援者が慣習として、
やってしまっていることが見られます。

先ほども書いたように、
ちいさい子がいる親御さんは、
「育つ」「スキルを身に着ける」のあたりの
目的意識をもって、
要求のための動作や言葉への対応をしていますよね?

これを大人の障害者事業所でも
求めたいのです。

自立に向かうためです。

何でもやってしまったり、
機会を作らない状態でいると、
彼らは、
要求という言動をすることなく、
身を預けっぱなしになります。

また、別な視点としては、
支援者が、彼らのわがままと捉えられている場合があります。
だから、要求させない状態を作っているようです。

万が一、要求があって、もしそれがかなわない場合は、
かなわない理由を付け加えることで、
「それはできない」もしくは「別なことならできる」という
提案につなげることもありますよね?

「要求=わがまま」ではありません。

要求は、様々なコミュニケーションの中でも、
障害がある方にとっては、
大事なスキルです。

SOSにしても、
選択にしても、
障害があって、一人でできないことを
支援者といっしょででもできるようになるために、
「要求」という言動の大切さをもう一度考えていただき、
彼らが身につけていただく支援をしていただきたいと思います。