大人の知的障害がある人たちは、
なんでもできるようになれば、
よいというものでもないのです。
これは、当然、できないことがあるという前提で
支援をするべきことです。
ご本人ができるようになりたいと願うより、
周りがさせていることも多くあるのです。
このあたり、個別支援計画が重要になってくるのですが、
特に、大人になった人たちに対しては、
彼らの人生に必要と思われることを
厳選していきたいところです。
この時に、
教育的になる支援者が多くいることは事実です。
簡単な例ですと、計算ができない人に
たし算の問題集を与えたり、
靴のひもが結べない人に
結ぶ練習をするなどです。
もちろん、できるようになることで、
彼らの自立という観点はあるのですが、
明らかに絶対にできない人もいるわけで、
そういう彼らに、非常に教育的に
できるまでやらせるということになれば、
それは自立のためというより、
支援者のエゴにしか感じません。
支援って、なんでもできるようにすることよりも、
その人の生活で、必要なことからにするべきなのです。
できるべきだと思い込んで、
支援者が、その人の生活に
強制することでもないのです。
たとえば、たし算の問題集より、
計算機の使い方のほうが生活に役だったり、
紐を結べないなら、
紐なしの靴を買うことだってできます。
そうそう、宿題出しているなんてことはないですよね?
本当は、できないから手伝ってくださいといえることが
一番大事だったりするのです。
ここが教育と支援の違いでもあるとも思うのです。
何もできないままでいいとも思いませんが、
その人の生活に必要なことから
厳選してできるようにすることや、
できないことは支援を求める術を身につけたり、
他のもので代用する生活を
してもらうことの方が大切です。
ご本人自身が、生活に何が必要かなどが
よくわからない場合がありますので、
支援者であるあなたが、
その方の生活を予測して、
何が必要なスキルなのか、
厳選していきましょう。
今している教育的支援は、
その人の生活に本当に必要か、
もう一度考えましょう。