大人の知的障害がある人たちは、
なんでもできるようになれば、
よいというものでもないのです。
これは、当然、できないことがあるという前提で
支援をするべきことです。
ご本人ができるようになりたいと願うより、
周りがさせていることも多くあるのです。
このあたり、個別支援計画が重要になってくるのですが、
特に、大人になった人たちに対しては、
彼らの人生に必要と思われることを
厳選していきたいところです。
この時に、
教育的になる支援者が多くいることは事実です。
簡単な例ですと、計算ができない人に
たし算の問題集を与えたり、
靴のひもが結べない人に
結ぶ練習をするなどです。
もちろん、できるようになることで、
彼らの自立という観点はあるのですが、
明らかに絶対にできない人もいるわけで、
そういう彼らに、非常に教育的に
できるまでやらせるということになれば、
それは自立のためというより、
支援者のエゴにしか感じません。
支援って、なんでもできるようにすることよりも、
その人の生活で、必要なことからにするべきなのです。
できるべきだと思い込んで、
支援者が、その人の生活に
強制することでもないのです。
たとえば、たし算の問題集より、
計算機の使い方のほうが生活に役だったり、
紐を結べないなら、
紐なしの靴を買うことだってできます。
そうそう、宿題出しているなんてことはないですよね?
本当は、できないから手伝ってくださいといえることが
一番大事だったりするのです。
ここが教育と支援の違いでもあるとも思うのです。
何もできないままでいいとも思いませんが、
その人の生活に必要なことから
厳選してできるようにすることや、
できないことは支援を求める術を身につけたり、
他のもので代用する生活を
してもらうことの方が大切です。
ご本人自身が、生活に何が必要かなどが
よくわからない場合がありますので、
支援者であるあなたが、
その方の生活を予測して、
何が必要なスキルなのか、
厳選していきましょう。
今している教育的支援は、
その人の生活に本当に必要か、
もう一度考えましょう。
山田さま
少し前から、ブログを読ませていただいてます。私は知的障害のある人達の支援に関わって、10年ほどになります。
支援者側の常識や思いを押し付けるような指導や支援について、私もずっと同じように感じていました。
現場では、このような指導が当たり前になっている部分があって、見るたびに何かが違う・・と感じています。
>本当は、できないから手伝ってくださいといえることが一番大事だったりするのです。
本当にそうだと感じます。
以前、こだわりの強い自閉症の女性から、何かの折りに「分かりません。教えてください!」と言われたことがありました。この時、本当に必要な言葉はこれなんだと実感したことをよく覚えています。
私の感じてきたことを、ズバッと書いてくださってたので、嬉しくて書き込んでしまいました。
これからも、楽しみにしています。
ご購読ありがとうございます。また、共感を頂きありがとうございます。
障害者支援業界としての常識が時代とともに常識ではなくなることが、次々に起っていると思います。そういう気づきにあった時は、私たちが、さくっと変わることですね。
これからもよろしくお願いします。