知的障害がある人の暮らしに
支援が必要な部分として、
お金
食事
薬
掃除・洗濯
などがあります。
何でも売っていたり、
病院代などがかからないからか、
与えられた情報にも無頓着になりやすく、
習慣化してしまい、
自分が知りえた情報の中で、
ことを済ませるためか、
支援者が知らないところで、
まさかそういうことになっていたのか?と、
びっくりするようなこともあります。
どんな生活にしろ、
ご自身がそのようにしている心地よさがあるので、
何でもかんでもだめだとは言わないにしても、
彼らのその生活の仕方に
リスクがあることも知ることで、
自分の生活の見直しになりますから、
情報は正しく伝えたいところです。
よくあるのは、
お金は持っていると使ってしまう。
そして、使い方のバランスは、
偏りがあるよう見受けられます。
手元にある食べ物は一気に食べてしまう。
残すことはできないのは、
お金も物も一緒のようです。
自分の健康を先に考えるのではなく、
食事だったらおいしいものだけ、好きなものだけ。
そして、好きなものの量は、
留まるところを知らない。
油が多いな?などのことは、
わかりにくいようですし、
おなかが満たることが優先です。
趣味であれば、
そこにつぎ込み、
食事など、生活に必要なものには、
お金をかけない場合もあります。
ギャンブルでお金が増える経験をしていると、
なくなったからと行ってしまいますし、
友人にも、
貸してしまう、借りてしまう人もいます。
これら、使った後に
なくなって気づくところで、
SOSを出してきたときには、
お金が無くなっている状態の場合もあります。
薬はもらってくるけど、飲まない。
相当ためている人もいます。
ことをする前に、
気づけない。
終わってからなら、
自分で反省をして、
支援者に対し、
もうやらないなどといえる人たち。
やらないとは言いますが、
極端さがあって、
たとえば、
ギャンブルで一銭もなくなった時には、
もう二度とやらないといいますが、
またお金が入れば、
「ちょっとだけ」とやってしまう。
宣言はむなしく、
やる前にセーブができないことも多くあります。
その時は大丈夫のような気がしてしまうのでしょうね。
さて、このような場合、
事後ではなく、事前に目を向けていただきたいと思うのです。
では、事前に目を向けてもらうにはどうしたらよいか?
怒ったところで、無駄ですから、
ご自身で気づけるように
支援することです。
彼らにいつもついているわけではないので、
私たちがいなくても、
一人で意識できるためにと考えたのが、
買う前に
食べる前に
という言葉です。
人によっては、
お酒の前に
パチンコ前に
など、状況も変わることでしょう。
この言葉(○○の前に)を、
支援者と一緒に復唱しましょう。
何度か復唱する。
必ず声に出すことです。
復唱してみてください。
支援者の前では、
できるのです。
でも、何度か、彼らなりの失敗をしていきます。
その時に、
「どうすることにしたのですか?」
と質問をし、
ご自分で、
「○○の前に」
といえるようになっていくと、
記憶に残り、
何か始めようとしたときに、
思い出すことがあるようです。
さらに、なぜそうしようと思ったのか、
理由もうかがえると、
意識はさらに高まりますね。
たとえば、長生きしたいからとか、
お金を貯めたいからとか、
いろいろな理由があることでしょう。
それも復唱していただきます。
「○○の前」にと思えることは、
自分で考えて道を作っていくこと。
私たちは否定や制限をすることは、
隠れてこそこそすることになります。
自分で宣言すれば、
事の見方が変わってきますので、
「できたよー」と報告も増えてきます。
その際には、「できたのですね!」と
一緒に喜びましょう。
事前に目を向ける。
もちろん、ご本人の無理なくできることだけにしましょう。
やらないだけではなく、やることもまた
保障していきたいところです。
「週1回だけOK」とか、
「10000円に貯まったらOK」というような、
緩やかさも必要です。
このような、会話を通して、
支援者が状況を把握して、
相談しつつ進めていくと、
自分でやめようと思ったことが、
できやすくなります。
自分の人生には、
積極的に関わっていただきたくことに
つなげましょう。