私たち、支援者は、
よく考えてみれば、
どれだけ相手の障害を
理解できているかで、
支援の仕方が変わっています。
例えば、
私たち自身もあえて、
「想像をする」ということを自らしなければ、
想像はできません。
相手の障害状況と、
同じ状況ではない私たちですから、
想像をするしかないのです。
こんな言い回しじゃ、伝わらないかな?
この経験はしたいかな?
このスピードは、辛いかな?
そういう想像をしていかなければ、
「知的障害がある人の立場になって考える」
ということには、行きつきにくいのです。
さて、彼らの高齢の世界は
想像できているでしょうか?
彼らは、
年齢の高齢化もそうですが、
体力の衰えやできなくなることも
進みが早いといわれている
知的障害の人たちです。
支援者のほうが、
まだ高齢の世界を知らない人も
多いわけですから、
高齢知的障害者に対しての
イメージもまた、
想像ができていない状態ではないでしょうか?
そして、それは、
地域社会に高齢知的障害の人の存在が
少ないのも原因のひとつだと思います。
会う機会が少ないという意味です。
というのは、
ご本人が高齢の場合、
その人自身のご家族が、
先立たれていることが多く、
ご本人が入所施設に入っていることも
多くあるからです。
どのように
彼らは歳を取っていくのか、
会うことが少なければ、
知る機会も少ないのです。
ましてや、
自分自身も、
身近に高齢者と接する機会が少なければ、
なおさらですね。
さて、知的障害がある人の高齢者も、
自分自身のできていたことが
できなくなってきているということや、
自分の体そのものの老化も、
自分の知っている自分と変わってきていることに、
気づいていない人もいます。
今までできていたことが、
できなくなることや時間がかかることにも
気づいていないことで、
今まで以上に違う支援が必要になっていることを
自ら訴えることもできない可能性が高くあります。
私たちは、想像をすることです。
彼らに何ができて、何ができなくなったかを。
できなくなっていくという現在進行形の
状況をなるべく早くに、つかむことですし、
それは、彼ら自身から訴えられないことであろうと
予測しておくことです。
まさかのところで、
けがをしたり、
理解ができなかったり、
高齢者に見られるような、
できなくなることの始まりがあります。
意味不明なことを言うかもしれません。
思うように足が出なくなるかもしれません。
立ち上がった時に、くらっとするかもしれません。
熱があることに気づかないかもしれません。
こういうことは、
急に始まる可能性もありますから、
今まで以上に、
あなたの観察をしていくことです。
早い人は、40代から始まることもあります。
もし可能であるなら、
彼らにも
高齢になると体が変化をしてくることを
伝えていってほしいですし、
もし、いつもと違うなと思ったら、
訴えられる人になってほしいのです。
病気の前触れもそうですが、
いつもと違う自分に気づけることや
それを人に伝えることができる力は、
とても大切なことです。
私たち自身も、
そのことに対し、
聞く耳を持つこと、
そして、
それは何の変化なのかと、
想像できる自分になることが
非常に大切です。
常に彼らの状況は動いています。
もちろん高齢化だけでなくてもです。
私たち支援者は、
常に柔らかさをもって、
状況を捉えましょう。
そして、受け入れの良さを持つことです。
彼らの今を知り、
将来を見据え、
支援をしていきましょう。