知的障害がある人が、
施設を選ぶ時代にはなってきていますが、
まだまだ、少数の中からしか選べず、
自分がしたい仕事(作業)のところであるかというと、
そうではない場合も非常に多くあります。
というのは、
需要と供給のバランスが悪く、
地域性もあり、
「入れるところに入る」
という感覚が否めないですし、
施設側のカラーもあって、
ご本人の思ったような「仕事(作業)」を
提供している施設とは限りません。
例えば、
お料理の仕事につきたいと思っても、
その人が通える地域に、
お料理をしている施設がなければ、
違う仕事をしている施設を
選ぶことになるでしょう。
もちろん、知的障害があるご本人が、
何の仕事をしたいかと
言えない場合も多くありますので、
逆のいい方をすれば、
自分の思った仕事につけるほうが、
まれなのです。
それに、
世の中にある様々な仕事は、
どんな仕事なのかを
すべて知っているわけでもありません。
たとえば、うちの施設は縫製をしていますが、
縫製がしたくて入ってきた人も、
もちろんいますが、
針に糸を通すことさえ、
小学校以来だという人のほうが多いのです。
それは、やはり、
「入れる施設」を優先させたためです。
このように、
どの施設でも、
その仕事(作業)をしたくて入ってくる人より、
空いている場所が、
まだまだ優先になっていると
理解するべきです。
と、なれば、
あなたの施設や事業所の仕事や作業は、
「やりたくない」レベルだと
思っておいた方がよいのです。
間違うのは、
この施設に来たのだから、
この施設の作業をするのは当然とか、
この施設の作業は、
できて当たり前という感覚です。
仕方なく来た施設かもしれないわけで、
入所したから作業をするとか、
良い製品を作るべきとか、
そういうことは理解しているはずと
思い込むのは危険ですよね?
これは、活動もそうなのですが、
あきらかに、私たち支援者の
勘違いです。
たとえば、
私の施設を例にしますが、
先ほども言いましたように、
縫い物をしている施設ですが、
最初のころに「縫い物嫌い」と、
はっきり発言した方がいます。
でも、
その方のやりたいことを中心にしてみたり、
その中で縫い物も入れてみたり、
緩やかにさまざまな作業を
していただいていたところ、
最近では、
縫い物は「やりたい作業の部類」に
入ってきた人がいます。
「縫い物って、何?」を
知らなかったからかもしれません。
また、やはり縫い物が嫌いだった人は、
その人の力量でできることをしていたところ、
今では、毎日5時間以上も縫い物をして、
出来上がった商品が売れていくことに
喜びを感じています。
この人は、もっと違うところで
就職できるはずと思っていたようです。
でも、ご自分の生活状況や、
できること・できないことの中で、
縫い物が自分の障害でも、
わかりやすくできるものと納得し、
ご自身の生活パターンから、
今は、就職ではないことを納得したからです。
もちろん、
うちに通ってくる利用者の皆さんも、
他の仕事を見たら、
そちらになびく人もいると思います。
ですから、自分の所の作業でよいとは
過信しないことです。
過信しなければ、
いろいろなアクシデントにも
「そうだよね、最初から、
したかったわけじゃないものね」と
納得できることでしょう。
「怠けてる」と思う前に、
思い出してください。
「不良ばかり作ってる」と思う前に、
思い出してください。
「なぜちゃんとやらないんだ?」などと
最初から、批判しないでください。
「やらなければならない」と、
強硬な姿勢をとらないでください。
彼らの気持ちになってみてください。
あなたもそうだと思います。
やりたくない仕事を
やれといわれたとしても、
やる気も出ないでしょう。
もしそんな仕事でも、
やる気が出るのは、
お金をたくさんもらえるとか、
やり方がわかったとか、
そういう瞬間に、
やる気も出るかもしれないのです。
「施設の作業は、絶対にするべき」の前に、
働くことでわくわくすることや、
得られるものを、
ご本人にご理解いただける形にして、
この作業をしていこうかな~と、
なんとなくでも、
思い描いていただくことが
先ではないでしょうか?
支援のしどころや
順番を間違えやすいと思いますので、
作業を通しても、
「その人が、その人の人生の主体」となるよう、
支援をしていきましょう!