知的障害がある人たちであっても、
一定年齢の人たちであれば、
作業に関わってほしいと思っています。
それは、大きく言えば、
社会を形成するひとりとして、
また、
自分の生活基盤を作る原動力として、
作業ができるのであれば、
一般の人の定年くらいまでは
経済活動に携わってほしいからです。
もちろん、作業ができない人も
いるかもしれませんが、
それは、施設にある
既存の作業を主に考えると、
できないと判断されてしまう
からかもしれません。
下請け作業を中心に
作業種目を考えている施設ですと、
不良品を作ってはならないという気持ちも
あるでしょうし、
その利用者の持つ作業スキルが、
その作業にあわない場合に、
関わってもらえないという施設も
あるかもしれません。
さて、
その人は、
何ができる人なのでしょう?
既存の作業に合わせると、
何もできない人のように
見えるかもしれませんが、
その人に合わせた作業の形を
模索することも必要になってきます。
いわゆる自主製品の
分野かもしれませんし、
他の作業を探すことに
なるかもしれません。
かなり前に、
ある施設に所属していて、
知り合った利用者は、
今でいう生活介護レベル。
いつも、自分の手でもう一つの手を
つかんでいます。
歩くときは、一人では歩けません。
作業と言えども、
何かを手にして、
何かができるわけではありません。
当時、生活介護施設もなく、
作業所にいた彼女ですが、
彼女の仕事は、
「座っている」という仕事でした。
まさに、できることから考えた発想です。
本格的に、こうぞやミツマタを使い、
紙すきをしている施設でしたので、
水を切るために「重し」役だったようです。
できることから考えた作業の役割ですし、
仕事をしているので、工賃も出ていました。
他の施設でも、
「振る」と言うことができる人が、
ボトルの中に入れたものを
混ぜる役割の人がいましたね。
何ができるのかは、
「何か」を試してみないと
わかりませんよね?
できない人だからと、
何かを作っても、
それが商品化されないのであれば、
経済活動に加わったことには
なりにくいです。
よく、職員がやるのは、
ビーズ通しやかみちぎりです。
ビーズを通してもらって、
作業後それを外して、
また次の日にビーズを入れてもらう。
牛乳パックの紙をちぎるだけで、
倉庫の中には、
その紙がいっぱいの施設もあります。
その人にとって、
手先の訓練に必要かもしれませんが、
そのあとの活動に結びつかず、
何年も同じことをしているのであれば、
単なる時間つぶしでしょう。
ですから、
何ができるのだろう?
という発想は必要ですし、
どんな作業になるだろう?
も、探ってみていただきたいところです。
今やインターネットで、
様々な情報を検索できますが、
彼らにできる作業は、
私たちが見つけ出さないとなりません。
こういった時には、
職員が捜すのも良いのですが、
難しければ、
作業のコーディネートを
する職業もあります。
そういう人を使うのも手です。
何ができるのだろう?
どんな作業になるだろう?
というのは、
アイデアが重要になってきます。
自主製品の販売会なども各地で
行なわれる季節になってきましたので、
そういうところを狙って、
商品の開拓もしてみませんか?
彼らにできることは、
何だろう?と思うときには、
やはり、商品見本があったほうが
わかりやすいですからね。
もちろん、これは、
重度と呼ばれる人だけに
限ったことではありません。
そこの施設の中の作業に
関われない人のために、
開拓するべきでしょう。
街を歩きましょう。
下請けだけではなく、
商店などに下請け作業が
あるかもしれません。
例えば、
野菜の袋詰め、
書類の封入など。
人手が足りなそうな商店や
家内工業的工場や
農家なども仕事が、
施設のご近所にもありそうです。
職員が、
施設の中だけで、
ものごと考えていても
なにも出てこないで、
利用者の皆さんに
ただ単に、時間つぶしを
させているだけではありませんか?
彼らのできそうな作業に
つなげ、
経済活動にもつなげられるよう、
アイデアを
見つけに行きましょう!
(写真:布をひっくり返すことができるかどうかを体験していただいたところ)