知的障害がある人が、
何かに対してする時の
一連の動作の中で、
できる部分とできない部分がある場合、
支援者が、
総合的に見て、
できないと判断して、
やってしまうことがあります。
本来、人は、
自分のことが、
自分でできるのであれば、
自分でするわけで、
その辺りが、
支援者の気持ち次第で、
彼らができるのかできないのか、
決まる場合もあります。
具体的にはこんなことです。
コンビニでのお買い物。
商品を選んだり、
レジに持って行くのは、
できるのですが、
お財布となると、
時間がかかり、
他のお客様に迷惑をかけるなと思った瞬間に、
支援者が、介入してしまうなど、
時間の関係や他者との関係で、
経験すらさせてもらえないこともあります。
こうなると
コンビニでのお買い物は
できないと判断されます。
また、その前に、
ひとりでお買い物なども、
ひとりでできるのか、
不安が先に立って、
経験をさせてもらえない。
やってもみないことを、支援者の気持ちで、
できないことの中に入れられてしまうのです。
このように、
知的障害がある人が、
経験できるかどうかや、
そこから自立の道に行けるかどうかも、
支援者次第です。
彼らは、やりたいと
主張しないことの方が多いですし、
支援者がやってしまったら
それに任せてしまうことでしょう。
この手のことは、
支援者に言われるままに
することが多いからです。
経験しなければ、
できるようにはなりません。
できないのではなく、
経験していないだけのことも
多くあるようですね。
要するに支援者次第です。
あなたが、経験させようと
するかどうかは、
面倒と思うかもしれません。
でも、
行動というのは一連の流れです。
たとえば、先ほどのコンビニで買い物であれば、
どこかをできないだけで、
買い物ができないになってしまうわけです。
どうしても、一人でするとなると、
他者とのからみを
持った部分の経験を
後回しにしている可能性もあります。
あなたが、躊躇しているからです。
何かを怖がっているのか?
何かをはずかしいと思っているのか?
その人を心配しているのか?
店員さんに悪いと思っているのか?
その人に良かれと思っているのか?
複雑ですね。
人のこころは。
でも、支援は自立のためなのです。
彼らができそうなら、
体験をしていただきましょう。
何かが作用して、
簡単にできるかもしれませんし、
「できない」が、
はっきりわかることもあります。
人との関係が含まれれば、
街の人が、
容易に助けてくれることもあります。
自分のこころを決めませんか?
自立のために支援すると。
あなたによって、
できることを経験しないことは、
彼らの人生の多様な道を
閉ざすことにもなりかねません。
あなた次第で、
彼らの行く道は変わってきますよ!