「ちゃんと前を向いて」
「泣かなくてもいいじゃない!」
「がんばって」
今朝、保育園の子たちが、保育士たちに
言われていた言葉です。
集団で道を歩いていた
保育士2名と2歳児クラスくらいの子なのか、
10人ちょっと。
ひとりの子の靴が脱げてしまい、
泣き出してしまった。
必死で脱げた靴を拾いに行き、
座ってはいていました。
それを見守る他の子供たちは、
「ちゃんと前を向いていて!」
といわれ、
靴が脱げた子は、
「泣かなくたっていいじゃない!」
といわれ、
最後は、みんな、
「がんばっていこう」といわれる状況でした。
お散歩をがんばるのか?
それとも遅れたからがんばるのか?
大変だな。という印象。
どの言葉も、
子供たちにとって、
どうなんだろう?と思う言葉です。
ある意味、
今の子供たちの状況を
否定ばかりしているとも思えますね。
泣いている子は、泣きたくなるくらいの
気持ちだったということ。
悔しくて泣いたのかもしれません。
その子が心配で、みんなが見ていた。
気になるでしょうね。やさしいね。
そして、そのことが引き金になって、
遅れたからか?暑いからか?
がんばるように促される始末。
こんなお散歩楽しいかなぁ?
私たち、知的障害者支援者にも
こういった場面は多々あります。
その時の、子供の感情は、
どこにあるのか、
何でそういう行動をとるのか、
感情がすごくあふれているのになぁ。
単に支援者が統制を取るために、
「ちゃんと前を向いて」というより、
靴が脱げた子を思う心を
育ててほしいなぁとも思うのです。
もちろん、大きくなった時は、
また別な観点もあるかもしれませんが、
こんな小さな子が、
「くつがぬげた」ことで、
感情のストーリーができ、
それぞれがそれぞれに何かを想い、
成長するきっかけだって
作っているわけですから、
保育士の感情は、
集団論理ばかりに走らないでほしいのです。
集団でいるからこそ起きるストーリーの中で、
持ちつ持たれつ。
相手がある事でよき見本があり、
成長できることもあります。
また、良くないことを見せてくれると、
反面教師的な部分もあるかもしれません。
個人ではなく集団だからこその学びです。
それを保育士主導で、
統制を取ってしまったら、
感動する部分も
やさしさの部分も、
つらさの共有も、
繋がりの部分も、
何もなくなり、
困っている子がいても
助けられない大人になっていくような気がしました。
困っている子を見てもいけない。
見なければ、人の感情に触れられない。
お散歩って何のためにあるんだろう?
子供たちの成長のためだよなぁと思いつつ、
残念。
私たち支援者は、
何のために活動をするのか、
その視点は忘れてはならないのです。
この例はあくまでも
保育園の一事例ではありますが、
活動をどのようにとらえるかを、
障害者支援施設としても、
考えるべき事例だと思います。
その年齢年齢で、
活動の仕方も違ってきますが、
集団の中で何ができ、
集団の中だからこそ、
経験できることを
組み立ててみませんか?
個別支援ではありますが、
集団だからこそできることを
全面にだし、
職員が管理ばかりすることの無いように、
今ある活動を振り返ってみましょう。