知的障害がある方の
自己選択、自己決定。
この流れを
支援者の中で認識し始めたのは、
もう何十年も前のことです。
人としてとか、
利用者主体とか、
消費者としてとか、
お客様とか、
いろいろな視点があって、
自己選択、自己決定という言葉も
その中の一つとして。
たしかに、それは大事なことですし、
それをもう、あえてやるのではなくて、
当然にやることなのです。
そう。彼らの人生ですから、
自分の人生を自分で決定することは、
人として当然なのです。
でも、
その自己決定したものを
支援者が否定する場面というのが、
実はあるのです。
否定というと、
ちょっといい方が変ですが、
「あなたが決めたこと以外に、
こういう考えもあるよ」とか、
「あなたが決めたことは、
不具合がある可能性があるよ」
などという提案です。
彼らが自己決定するために
届いている情報は、
実は、案外少ないです。
彼らが経験したことなどが中心となり、
彼らが自己選択・自己決定しますので、
経験数が少ない人ほど、
自己選択・自己決定できるための情報は
少ないのです。
私たちも、
自分で決めたことであっても、
他の人に話して、
その人の意見を聞いて、
自分の考えを上回る情報や
アドバイス(考え方)があれば、
自分で決定したことよりも、
相手に言われたことで、
自分の決定を取りやめることがありますよね?
それと同じです。
彼らの自己決定が大事だといっても、
自己決定したことを
そのままさせているほうが、
彼らにとって不利益になることも
あるからです。
知的障害がある人が決めたのに、
それを否定したら、
すべてが人権侵害だと
間違って解釈している人がいませんか?
もしも、彼らが自己決定した内容が、
彼らにとって
正しくない状態であったり、
それを上回る、
よりよい情報があるのであれば、
自己決定したことよりも、
支援者の判断のほうが
正しい場合もあります。
そんな時は、どんなにご本人が決めても、
ご本人にわかるように説明をして、
あなたが考えたこともわかるし、
大事にしたいけど、
私の提案もとりあえず、
聞いてもらえないか?と促して、
情報を流したり、経験できる機会を
増やすことは必要なのです。
NOである理由は、
絶対に伝えてください。
もちろん、最終的には
ご本人に自己決定していただきます。
その時点が本当の自己決定といえるでしょう。
それに、自己決定をする前に
充分な情報を
支援者が提示することは
あたりまえなのです。
否定ではなく、アドバイス。
アイデアの提供といったところでしょうか?
そういう感覚です。
自己決定したからという理由で、
その後、支援者がその不具合を気づいたのに、
そのままさせているほうが、
人権侵害だと思います。
もちろん、不具合生じていて、
途中の変更すべきことに
ご本人が、
気づいていないなど判断した場合も、
支援者から提案ですね。
彼らの自己選択・自己決定を
最終的に自分が決めるためにも。
もっともっと
きめ細やかに、
積極的に支援していきましょう。