例えば、
私たちも、
いろいろな仕事が押し迫っている時などに、
考える力が弱まったり、
集中力がなくなったりしている気になると思います。
これは、「気になる」というところがポイントです。
自分ができなくなったわけではないのです。
量の多さや仕事の複雑さに、
一時的に処理能力を超え、
自分の力量を超えるから、
自分自身のことを
間違って解釈してしまうことになるのです。
自分で自分の仕事を整理したり、
一つ一つ片付けていくと、
平常の自分に戻れますよね?
さて、そのような、
コントロールできる私たちと違って、
知的障害の彼らには、
どんどんと情報が押し寄せていく
状態なのではないでしょうか?
そして、その情報の波を流しているのは、
まぎれもなく私たちや社会ということになります。
彼らの場合、
情報をためる入れ物が、
小さかったりします。(比喩です)
そこに、どんどん、私たちや社会が情報を
入れようとするものだから、
その入れ物が、てんこ盛りの状態なのです。
小さな(少ない)情報や
簡単にした情報を、
彼らが処理した後に
私たちからまた新たな情報を入れれば、
彼らの処理スピードで
処理できるので、
混乱することはないのです。
もうちょっとわかりやすくしましょう。
10個だけはいる器に、
10個以下の情報がはいっていて、
そのなかから、1個ずつ処理していれば、
そこからあふれることはないですよね?
彼らに10個以上の情報を
入れ込もうとしているのは私たちや社会です。
だから、彼らは処理しきれなくなるのです。
減ったら入れる、減ったら入れる。
または、10個までの情報もわかりやすくして、
処理速度が上がれば、
次の情報も入る余地があるのです。
さて、そんなイメージのものなので、
彼らの情報を入れすぎると
わからなくなるわけです。
入れ物の小ささが「障害」なのではなく、
入れ物にどんどん情報を入れようとしている私たちが、
彼らにとって「障害」となります。
「もう、あふれ出た!」
そう叫べれば、どんなに楽かと思います。
この状態が、
知的障害の方には、
日常的にあるのではないかと思うのです。
もともと考える力が、
複雑なものはわかりにくいところに、
混乱するような情報が入ったり、
順序立てがわからなくなるようなことが起きたり、
いろいろな種類の情報が
一気に来てしまったりしたときに、
彼らは明らかに混乱状態になることがあるようです。
いくつものことが押し寄せた時には、
どこから考えたらよいのか
途方に暮れる感じなのです。
内容的にわからないのではなく、
どこからどうすればいいのかが
わからないのです。
私たちは、
彼らが困っている
「情報の処理」を
支援するとすれば、
情報を彼らなりに
考えやすくする必要があります。
字で書いたり、
図で示したり、
繰り返し言ったり、
さらにわかりやすい言葉を使ったり。
様々な方法があります。
順番立てを手伝ったり、
1つ1つ整理したり、
多すぎる場合は、あえて、見えないように
しておくこともあります。
目の前にあることが処理できてから、
オープンにするということです。
先ほど書いた、
これは、「気になる」というところがポイントです。
自分ができなくなったわけではないのです。
という部分ですが、
彼らもできないわけではないのです。
多すぎたり複雑すぎたりしているだけではないでしょうか?
だから、支援が入っていないだけで、
わからない気になっているのです。
逆を言えば、適量で、わかりやすければ、
「わかる」を経験できるのです。
私たちがわかりやすくなるよう
支援をする部分です。
特に言葉がしゃべれて、
わかったように見える人には、
確認の問いをしてみたほうが良いこともあります。
案外わかっていない状態だったり、
フリーズしていることもありますよ。
お気を付けください。
彼らにとって「わかる」が増えることで、
いろいろなできることが増えると思います。
情報処理支援、大事な支援です。