知的障害がある人に対して、
何か支援をする際に、
できないことや
困っていることに支援をする訳ですが、
これだけできれば、
支援者は誰でもよいのかというと、
そうではありません。
この支援者は、良い支援者、
この支援者は、あんまりよくないという
評価になることがありますよね?
これを、支援者側から見ると
信頼関係ができていないからだと
思われるかもしれませんが、
知的障害がある人たちからは、
信頼があろうがなかろうが、
「人付き合い」の良さの方が
大事なのだと思うのです。
もちろん、
障害があるとかないとかではなく、
自分にとって心地よいお付き合いを
してくれる人かどうかです。
たとえば、
全く同じレベルの支援をしていても、
差がつくのは、
そこに、笑顔があるとか、
言葉のかけ方だとか、
そういう、高レベルな支援だけではない、
プラスした何かがあるかどうかです。
信頼関係がなくても、
一緒にいて心地よいというのは、
彼らにもわかります。
また、支援自体は充分でも、
それに付随した部分の配慮が
できていなかったらどうでしょうか?
たとえば、
食事支援をした場合、
その支援としては、
穏やかな気持ちで食事ができ、
体の中に取り込むだけの支援でいいのではなく、
口の周りが汚れていないか?
洋服が汚れていないか?
手の汚れはどうか?
等の配慮も必要なのです。
また、排泄支援もそうです。
排泄行為だけではなく、
洋服を身につけた状態で、
背中が出ていたりなどがあれば、
それは支援としては不足になります。
自分が、支援される側だったら、
どう思いますか?
それを問いたいです。
かなり見かけるのですが、
口が汚れっぱなしだったり、
洋服が出ていたり、
手が拭けてなかったり、
支援者が気づかなければ、
ご本人が気づかないところが、
たくさんあるのです。
もちろん、
ご本人ができるようになるのが良いのですが、
こういうADLに支援が必要な方は、
ご自身でできない方も多くいらっしゃいますから、
支援者が気づかう部分だったりしますよね?
あなたは、汚い顔で他の人に会って
恥ずかしくないですか?
身なりが整っていない状態で、
どう思いますか?
支援がきちんとされていても、
それだけではない、
心地よさや気づかいの部分まで
できてくれば、
あなたのことを、
良い支援者と認められる場面は、
増えていくことでしょう。
そこから信頼にもつながります。
自分がされたらうれしいことは何ですか?
自分がされたら嫌なことは何ですか?
あなたが良い支援者となれるかどうか。
支援をする際には、そんな視点も忘れずに!