家と施設・学校など所属先との往復。
ヘルパーさんが入ったりもするかもしれませんが、
知的障害がある人たちの生活範囲は、
現状、かなり限定されたものになっています。
周りの支援者が、
様々な経験をさせようと思わない限り、
その人の経験値は増えません。
多くの知的障害がある人たちは、
支援という名のもとに、
一人で外出する時や何かを体験する時には、
「だいじょうぶなんだろうか?」
という心配が付きまといます。
そして、支援者が、
これなら大丈夫だろうというものの中から、
経験をすることの方が多くあります。
本来は、様々なことを経験するべきなのですが、
支援者ありきとなっているのが現状です。
特に施設は、
いつもいつも同じような
プログラムの提供だけではなく、
「体験することで自立につながる」プログラムを
意識して、取り入れるべきでしょう。
たとえば、体力をつけるでもいいですが、
体力をつけるという名のもとに、
「毎日毎日、午後は散歩」
というプログラムを
何年もしている施設も
あると思います。
本当に毎日の散歩で体力がつくことを
目的としているのでしょうか?
いやいや、
ただやっているだけじゃ
ありませんか?
時間つぶしです。
経験の場を、
職員が用意するのは仕事なのです。
そして、やっぱり経験というのは、
人生につながっていくのです。
一番最初に勤めた施設で、
お昼はお弁当というところがあったのですが、
月に2回、職員1名と利用者2名で、
約15人分くらいのお昼ご飯を作っていました。
前の日に買い物をしたり、
畑で取れた野菜を使って、
様々なメニューを
作ったものです。
ある時、
利用者のお母さんが、
娘さんの様子をお知らせくださったのですが、
夕方、お母さんが帰ってくるのが遅くなってしまい、
夕飯の時間に戻れず、
おなかをすかせて待っているのではないかと心配をしていたら、
炊飯ジャーからご飯を盛りつけ、
缶詰をあけて、ご飯を食べていたそうです。
重度の方ではありましたが、
それを一人でできたことに、
お母さんは、
その料理の経験のおかげだと
評価をしてくださったのです。
というのは、缶詰をあける経験も
していたのです。
非常の場合に役立つようにと、
火を使う料理だけではなく、
地味なスキルも
やっていただいていました。
こういう経験が、
彼らの引き出しにしまわれた後は、
いつ何時、
必要になるかはわかりません。
でも、経験という機会がなければ、
この非常のときに、
一人でご飯は食べられなかったでしょう。
また、最近、
一人暮らしを始めた人も、
この料理という経験は活きたようです。
もちろん、一人で料理をすることはできた人ですが、
やっぱり、職員といろいろ作ったことは
経験になったわけで、
今は職場にお弁当も
持って行っているということです。
料理だけではないのですが、
何の経験が、
その人の人生に活かされるのか?
そういう視点で、
彼らの将来に役立ちそうな
経験を増やし、
その人の人生の
一部となるよう、
機会を作っていくことは
大切なことだと思います。
施設の中を見回せば、
活動と称しなくても
経験できることは
たくさんそろっているのです。
それを職員が気づいていないのかもしれません。
そして、日常のプログラムは、
時間つぶしではありません。
彼らの自立に役立つ経験の場として、
位置づけましょう。