年齢相応の遊びや趣味というのが、
世の中にはあるようです。
あるようですと書いたのは、
私自身、「年齢相応の趣味」と言うことを
考えたことがないからです。
知的障害や自閉症がある方の
成長を見た時に、
年齢相応ではないと
感じる支援者もいらっしゃるようですね。
例えば、大人の知的障害者が、
幼児番組を見続けることが、
年齢相応ではないと
考えたりするのではないかと思うのです。
私自身が、あまりIQに固執していないので、
何歳くらいの知能と言うことも気にしておりませんが、
「何歳くらいの」というイメージがその人にあるからこそ、
あえて、年齢相応というイメージを持ちやすいのかもしれません。
ただね、
支援者側からの、
相手の年相応の対応ということは、
するべきですね。
それをしていない支援者は、多いですけどね。
さて、話を戻しましょう。
趣味や楽しみの部分です。
幼児番組を例にとって、
お話ししてみましょう。
これは、支援者が、
その人の過去に何を提供したかの
現れだと思うのです。
どこかで、幼児番組を提供しているはずです。
様々な提供物の中で、
楽しいなと感じたり、
心地よいなと感じたり、
もしかしたら、
自分にとって簡単だなとか、
難しくないな?
というものかもしれません。
趣味や楽しみというものは、
その人が、
それを続けることが
できるものでないと、
続きませんよね?
続いているものなので、
次の楽しいことが現れない限り、
続くのです。
年相応とか、
そういうことを思うのは、
支援者側です。
ご本人は楽しいから、
それを続けている。
それだけのことです。
ですから、
支援者は、
その趣味を続けることについて、
その人の人生に、
どうしても支障が出るのであれば、
変更できるような
新しい分野で
その方が楽しめるものを
また提供することです。
「やめなさい」
「みっともないでしょ?」
のような持って行き方で、
それを取り上げようとしても、
隠れてその趣味をするようなことにも
なりかねません。
禁止することには、意味をなしません。
もっと楽しいことや
やりたいことが見つかれば、
今やっている趣味から、
移動することはできます。
それは、彼らが年相応ではないから
やめるわけではなく、
もっと良い趣味や楽しみが見つかったから、
変更するだけです。
世の中を見てください。
例えば、
小さい頃に見たマンガを
未だに好きだという中年の方だっています。
でも、その方がなぜ問題視されないかというと、
その方は支援が不要だからです。
どうしても、障害があって、
支援者の目につくようなことがあると
私たちは批判したくなるのです。
何かにつけて、批判する材料を
見つけているかのように感じます。
あなたの趣味で
隠れてしていることもあるでしょう?
私たちは、支援がなくそれができるから、
誰にも批判されないだけです。
障害があるから、
年齢相応でないから
その趣味はおかしいという論理で、
攻め立てるのは、
もうやめにして、
楽しいことや趣味になりそうなことをいろいろ
提供してみてはいかがでしょうか?