前はできたのに


知的障害がある人も、
2次的な障害が増えたり、
高齢になったり、
病気になったりして、
今までできていたことが
できなくなることがあります。

もちろん、これは、
知的障害がある人だけのことではないのですけどね。

さて、こんな時、
支援者は、
「前はできたのに」という嘆きの言葉を
言い放ちます。

前はできた。

たしかにそうかもしれません。

前はできたのです。

だから、
またできるようになることを望み、
ご本人にも、
その辺りを話している人もいると思います。

前はできたんだから、
また、できるようになる?

もちろん、そういうこともあるでしょうけど、
私たち自身がそういう経験をしていないからこそ、
できるようになるというのは、
憶測でしかなく、
ご本人にとっては、
できない状態が「通常」となったのかもしれないのです。

もちろん、それが病気が原因であり、
病気を治すことで、
できるようになることはあるかもしれませんが、
それもご本人には、イメージできにくいことです。

こういった時、
ご本人の努力に託してみたり、
「何でできないの?」と
言い放つことで、
その人が怠けているかのように
位置づけてしまうのは、
支援者自身が「自分が困る」という意味を
持っているからではないでしょうか?

そして、将来できなくなることがあるということを
予測していないことや、
いつまでもできる人でいてほしいという
支援者の妄想なのです。

人は、常にどちらの方向にも変化をし、
それは、努力で何とかならないこともあり、
その状況にご本人も困っているかもしれないのに、
できなくなったことで困るのよねと、
支援者が嘆く言葉として、
「(前はできたのに)できなくなったら
私が困るじゃない!」という
感情表現となっているような気がしてならないのです。

今、
その時の、
その人を見てほしいと思うのです。

私たちが同じように言われたら、
どう感じるでしょうか?

好きでできなくなったわけではないよと、
反発するでしょうか?

そうだね、もっと頑張るよと、
自分自身に鞭打つのでしょうか?

私たちは、
できるようになってほしい、
自立に向かってほしいと、
長い間、ご本人に支援をしていた状況から、
人として、
できなくなることがあることも
今から知っておかなければなりません。

今日できて、明日できなくなること。

そういう時に、
ねぎらいの言葉が先に来るはずで、
できないとは何たることか?と
不愉快になることではないのです。

その人に期待しすぎているのでは
ないかとも思うのです。

その人の人生は、その人の人生であり、
私たちは、常に、
目の前にいる
その人の状態に合わせて
支援をするべきで、
過去がどうだったからとか、
他の人がどうだからとか、
比較することではなく、
今するべき支援をしていくことだと思うのです。

「前はできたのに」

という言葉は、
その人に対してのねぎらいの言葉や
応援をしている言葉には聞こえません。

支援者であるあなたにとって、
その状況が不愉快だよと
言わんばかりの言葉に聞こえます。

ご本人主体とは、
どういうことなのでしょう?

そんなことを常に振り返り、
その人の今も将来も、
支援をしていきましょう。