知的障害がある人が自分で行動をする際に、
間違ってしまった場合に、
支援者の関わりとして、
それをそのままにすることがあります。
ご本人には知らされず、
支援者が修正や対応をしてしまう場合です。
具体的にどんな場合かというと、
例えば、
作業の時に、間違いがあった場合で、
ご本人には、間違っていることや
何が正しいかを伝えられず、
あとで支援者が直す場合。
例えば、
ご本人が自分で来た洋服を後ろ前にしてしまい
支援者が修正してしまい、
そうならない着方は、
どうやればよいのかを
伝えてもらえない場合。
これらは、ほんの一例ですが、
他にも、知的障害がある人の行動のあとに、
知的障害がある人が事実や方法を知らされず、
支援者が動いてしまっていることは
多々あると思われます。
しかも、無意識のうちに。
その際、ご本人に知らせないのは、
いろいろな理由が考えられます。
・その人には、できないだろう
・パニックになったら対応できない
・支援者がやってしまった方が早い
・それの伝え方がわからない
・話しても理解できないだろう
大きくざっくり言えば、
支援者が、ご本人のせいにしつつも
支援の方法がわからない
ということではないでしょうか?
そして、簡単に言えば、
その場をやり過ごしている状態です。
これは「支援者あるある」で、
それが当たり前で、
そうしてしまう時の
問題意識を持っていなかったかもしれません。
自分がそうされたらどうなのだろう?
と思っていただくことで、
自分の接し方がそれでよいのか?と
考えてほしいと思うのですけどね。
さて、私たちは知的障害がある人たちの支援者です。
支援者とは何をする人なのでしょうか?
もし、ご本人が知らなくて
間違っているのであれば、
知らせることです。
やり方がわからないなら、
やり方を知らせることですし、
出来上がった品物が間違いなら、
間違っていることを知らせることです。
そして、そのうえで、
正しいやり方を
その人に合わせて、
その人がわかる伝え方で
伝えることです。
どのように伝えればわかるのかも
ご本人に確認していくことです。
練習が必要であれば、
その機会を提供することです。
ご本人は、自分が間違っているとは
思っていないわけですから、
間違っていることと
正しいことを伝えればよいわけです。
人によっては、あえて、間違いを伝えなくても
「今度からこう変更しましょう」
でもよいと思われます。
ただし、それらのことをすることで、
ご本人が、自分自身を
だめだと考えてしまったり、
はずかしいと思わせるようなことに
なってはいけません。
あくまでも、
支援者が支援をしていなかったことが
この場合のできない理由ですので、
そのあたりを前面に出して、
ご本人に正しいことを伝えていくことです。
できないことでもできるようになりたいとか、
できないことで困っているとか、
もうちょっとわかりやすく説明してほしいとか、
本当はどうなっているのかを知りたいとか、
ご本人は表現していない場合でも、
いろいろな願いやニーズがあるのです。
それは、その人の暮らしが今以上に
わかりやすくなるためや
主体的な人生を過ごすためです。
だれでも、支援者がいつも隣にいて
その支援者がなんでもやってしまうことは
望んでいないと思います。
自分一人でできることや社会の中での役割を
感じ取れることを欲しているのではないでしょうか?
そこに対して、
ご自身だけでもできるようになる支援や
悩みが少なくなる支援などが、
私たち支援者に望まれていること
なのではないでしょうか?
全くできないことであれば、
人を頼るのは当たり前です。
その場合は頼り方を知らせることです。
そして、ご本人がしている間違いを
正しいと思ってしまうことは、
あなたやあなたの現場がそうさせていることなのです。
つまり、あなたやあなたの現場だからこそ通じることです。
他の支援者には通じないのであれば、
良い支援をしたとは言えない
という視点も持ちましょう。
例えば、他者が見学に来た時に
その支援がおかしいと思われる
可能性もあるのです。
職員自身もその関わり方が
「支援者あるある」ですし、
間違いだと気づいていない場合もありますが、
他者から見たら、支援の質が問われます。
自分自身が特に考えずに
普段何気なくやっているようなことを
正しい支援なのか?と
あらためて考えていく必要がありますし、
利用をしている人にとって、
今できる最高の支援なのかを考え、
自分の支援の仕方を見直していきたいものです。