支援をしてほしい



ご本人の障害理解を求める人がいますが、
私はあまりそこを重要視していません。

障害理解を求める人の中には、
自分の障害が何かをわかっていないから、
だめなんだという意味合いで使う人が多すぎます。

「だめ」とは、何を指すのでしょう?

障害理解していないご本人だから、
支援ができないという支援者は、
自分のことを棚に上げていると思うのです。

自分自身の障害がどこにあるのかを
わかっていないにしても、
私たち支援者は、それを見抜き
困ってる部分や
できない部分や
できるけど時間がかかる部分や
ちょっと一緒にいたらうまくいく部分や、
そういうことを
確認しつつ、支援をしていくことだと思うのです。

知的障害があるために、
考えていることを人に伝えられない人もいますので、
「障害理解をしていないから支援ができない」といっているのは、
支援者本位になっていると気づくべきなのです。

さて、障害理解はしていなくても、
「こういうことに困ってるよなあ」とか、
「今、ちょっと手伝ってほしいなあ」が、
感じ取れることは、
自分自身の生活がしやすくなるために
非常に大事なことです。

たとえば、
「お金がいくらあるか数えて!」
という人がいます。

今自分がしたいことができないからと支援者に
SOSを出すことが、
とても大事なのです。

もちろん、ご本人にできることもあると思いますので、
それをやっていただいたり、
少し支援を入れることで、
自分で数えることができるようになることもあります。

この人は障害理解をしているわけではありませんが、
なんとなく、自分だけではできないけど、
やりたいと思ったのは確かです。

でも、支援者と一緒に考えることをし、
例えば、お財布に入ったままだとわかりにくくても
机の上に並べれば、
数えられると言うことがわかり、
そこに障害がなくなり、
自分でできることになりますし、
その後、お金を数えたいなあと思った際に、
自分で机に並べてみようと思い出せれば、
支援者を頼らなくても
自分でできることにつながるのです。

障害理解と、
自分ができないと伝えることは違いますし、
まずは、伝えることができれば、
次につながります。

もちろん、できないことを伝えることを
障害理解と解釈している人にとっては
違うことではないと言うことになります。

できないことを相手に伝える。
手伝ってほしいことを相手に伝える。
こう思っているんだよを伝える。
イライラするなあを伝える。
あれ?って思ったことを伝える。

一概に「困ったこと」ではないかもしれないのです。

そして、そのことを知った私たちは、
支援方法を考え、
彼らに支援をする。

と言うことです。

さて、この、
「相手に伝える」
ですが、
ここができない人もいますが、
できるけどしない人も、
実は多くいるのです。

伝え方がわからない人もいますが、
伝えていいの?と思っている人もいます。

自分でやらないと怒られると思っている人もいますし、
自分の力でやれなければ、やらないと思っている人もいます。

できないとしても
まあいいかとあきらめる人もいます。

そこに障害があっても、
伝えようとしなければ、
本来支援も始まらないのですが、
支援者が先手を打って、
支援しているのが現状ですから、
さらに、彼らが、自分で訴える力もなくしているのです。

つまりは私たち自身が、
彼らの障害をも作っているという課題も
存在するのです。

自分からSOSを誰かに伝えることに
躊躇するような事態は避けたいですね。
伝えることで怒られると思っている人には、
なおさらです。

私たち支援者は、彼らが伝えてきたことに対して、
見極めもできずに、
なぜできないんだ?という傾向の発言を
するべきではないですし、
やればできる!などと、
突き放すべきでもないのです。

自分が困ったことに気づけたこと。
そして、それを相手に伝えたこと。
この二つができたら、支援者が動けるのです。

これは、「おしっこしたいよ」でも良いですし、
「オムツに出たよ」でもいいですし、
その表現は、目くばせでもよいのです。

支援を開始するスタートは、
本来ご本人発信でするべきなので、
自分から伝えることの支援をすることもまた、
支援なのです。

きめ細やかに。

そして、継続的に。

彼らができることを
ひとりでもできるように。

今までできたことが、もっと楽にできるように。

できないことは他者にやってもらえるように。

伝えることにも支援を入れる。

彼らの伝えることが安心感につながることも添えて。

あなたの発信を待ってるよ!

いろいろな自立の形。
支援をしていきましょう。